DMTea Ceremony Case

アヤワスカ茶が争われている最初の裁判

南方録 ー回想ー  

「私は旅や探検家が嫌いだ。それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている」[*1]ー『悲しき熱帯』の冒頭部分だが、私も同感である。アマゾンのジャングルの原住民が、地上最強の幻覚植物を飲んで呪術戦を繰り広げているだとか、そういう話で人を面白がらせたいとは思わない。

この話の主人公は被告人である。だから私はここで、自分が何者であるのかについて、最低限しか書かない。長い旅の航海記の代わりに、二回の「旅(viagem)」について書くにとどめたい。



ペルー、ウカヤリ州、プカルパ、サン・フランシスコ共同体
西暦2001年、仏暦22544年。

ウカヤリ川下流にある、シピボのサン・フランシスコ共同体に居候していた、かつてはアマゾン川を船で遡行するしかなかったのだが、いまではリマから飛行機でアンデスを越えられる。

観光化が急速に進みつつあった。

背丈の低い、若い女性のシャーマン(curandera)が、居候していた家に訪ねてきた。茶会を催すためである。

彼女は私の顔を見るなり、訛りの強いスペイン語で「私の息子になりなさい」と言った。今夜のお茶会で、精霊に許可を得る。精霊が許可をしてくれたら、精霊があなたに名前を与えてくれるだろう、と彼女は言った。弟子になれというのだ。初見でシャーマンになれというのだ。私は不意を突かれた。



その夜のお茶会では、臨死体験のような体験をした。他界の無限の光の中で、植物の精霊の声を聞いた。

「極東の島に帰って、島の人々に、アヤワスカのお茶を点てなさい。人々に精霊の歌を伝えなさい」
「シャーマンになれということですか」
「それが君の使命です。君は選ばれたのです」

世界が危機に瀕しています、あなたは選ばれた存在です、人類を救う使命があります、特別な力を授けます。

精霊の声が聞こえてきて、こんなことを言い始めたら、脳内のドーパミンが増えすぎていないかどうか、確認したほうがいい。パラノイアか、統合失調症の急性症状が来たか。こういう妄想を放置しておくと、やがて集団で共有され、選民思想陰謀論、終末論となる。

「私には他人様にアヤワスカ茶など点てるのは無理です」
「君が人々を導くのではなく、お茶が人々を導くのです。茶人はただ茶を点てて客人に飲ませるだけです」
「私には無理です。なにしろ煩悩まみれですし」

精霊が人間の言葉で話しかけてきたとしたら、それは自己の無意識の投影である。精霊が不思議な力を授けてくれたとしても、それは、自分がもともと持っていた能力を発見しただけのことだ。それ以上のものではない。

仏に会っては仏を殺せと『臨済録』にも書いてある。魔境に落ちるな、という、先達からの警策である。

「使命です」
「無理です」

依存性薬物と混同してはいけないが、といって精神展開薬にも有害な副作用がある。とくに自我肥大(ego infration)は魅惑的な魔境だ。

「使命です」
「無理です」

薬物の甘い誘惑、断つ勇気。

「使命です」
「無理です」

押し問答のあげく、精霊は言った。

「極東の島に精霊の言葉を伝道するミッションについては、別の適任者を探します」
「もう地上に帰らせてください」
「利休はチャの茶を点てて裁かれた。しかしカフェインは結局はカテコールアミンと同類です」
「私は地上の人々に華和茶を点てました」
「あれは高々カンナビノイドのレベルです。しかも薬事法で規制されてしまった」
「検疫で止められた友人を助けただけです」
「それでも地上の人々は植物の精霊の声を聞こうとしなかった。だから今、誰かがアヤワスカ茶を、人々に振る舞わなければならない。アヤワスカ茶こそインドールアミンの女王です」
アヤワスカ茶の難易度は最高です。だから私には無理です」
「そうです。アヤワスカ茶というのは、精霊の言葉を人間に伝える、最終手段です。君が無理だというなら、他に適任者を探します。その人は、最後にして最大の茶人であり、そして裁かれるでしょう」
「何のことだが理解できません。もう地上に帰らせてください」
「君は地上で数寄にすればいい。せいぜい、その適任者が催す茶会の半東にでもなって、手伝えばいい」

精霊の声は去った。

お茶を点てること自体は、誰にでもできる。それは、いっしゅの仕事 [trabalho] だ。茶人は人間であり、超越者ではない。ただ湯を沸かし、茶を点てて、茶を飲ませる。茶が、客に、それぞれの客にとっての真理を教える。

だから茶人は余計なことを言う必要はない。植物に敬意を持って茶を点て、誠意をもって客人に振る舞うことである。

翌日は、心は素晴らしく澄んでいたが、身体は怠かった。昼過ぎまで庭のハンモックに揺られながら、考えた。別の適任者だとか、いったい誰のことやら。

背後から人の足音が近づいてきた。振りかえると、例の若い女性シャーマンが、無表情で、こちらに向かってくる。

彼女は耳元までやってきて、また、訛りの強いスペイン語で言った。「私は、あなたを息子にします。昨夜の茶会で、アヤワスカの精霊から「イニンスイ(ininsui(芳しい人))」という名前を受けとりました。あなたの名前ですよ」。その名前を、慌ててノートに書きとめた。

しかし、私はシャーマンにはならなかった。自分にアヤワスカ茶会など、無理だと思ったからだ。

私は帰国して東京の大学に就職し、人類学を教えるようになった。それが仕事(trabalho)になった。精霊の言葉を、近代科学と現代思想という言葉に翻訳するという仕事である。



ブラジル、パラナ州クリチバ市郊外、バテイヤスの森
西暦2004年、仏暦2547年。

サント・ダイミのパラナ州分教会(セウ・ド・パラナ)は、クリチバ市の郊外、バテイヤスの森のコテージだった。トラバーリョは毎月二回、行われていた。新月の夜と、満月の夜である。

さて、ある新月の晩。礼拝(trabalho)の途中で、こみ上げてくる吐き気に耐えられなくなった。

黙って手を上げると、白いスーツを着たスタッフが静かに歩み寄ってきた。「水(Água)?」「いえ、トイレに(Não. Banho.)」

彼は私の手をとり、扉を開けて、建物の外に連れ出してくれた。トイレまで付き添ってもらった。

ブラジルでは、アヤワスカ茶は合法である。しかし、指定された教会での礼拝にかぎる、という制限がある。

トイレに入ったが、何も吐くものはなかった。24時間前から絶食していたし、この吐き気がMAOIの作用だということも、よく理解している。

吐き気がおさまったところで、トイレから出た。

頭を上げると、月はなかった。

すごい。星がいっぱいだ[*2]

リヒャルト・シュトラウス交響詩ツァラトゥストラはかく語りき』が脳内で再生された。指揮は、たぶんカラヤンだ。

たちまち理解した。宇宙は無限大であり、自己は無限小である。いま理解したのではない。つねに、すでに(always and already)与えられていた真理を、思い出した。

人間はひと茎の葦であり、世界の中で最もか弱いものである。彼を押しつぶすのに、全宇宙が武装する必要はない。怖い。ヌミノーゼ[*3]は崇高であり、同時に恐怖である(aweful and awsome)。無窮の宇宙に押しつぶされてしまう。苦しい。永遠に窒息してしまう。空間も無限だし、時間も永遠だ。両脚が震えて立っていられない。両腕で白いスーツの係員にしがみついた。

しかし、人間は考える葦である。宇宙の無窮が人間をつつみ、人間の思考が宇宙をつつむ[*4]。そうだ。宇宙の構造は再帰的(recursive)だ。

ついに宇宙の真理を発見した。すぐに教会に戻って、宇宙の構造が再帰的だという真理を皆に知らせなければならない。係員に腕を抱えられながら、宇宙の構造は再帰的だ!再帰的だ!再帰的だ!と心の中で叫びながら、歩いて、歩いて、歩いた。

しかし、教会に戻っても、聖歌は終わり、礼拝 [trabalho] は終わった。話し合う時間もなかった。



シピボ族の茶会でも、客は、三々五々、家に帰って寝てしまう。数々との精霊との出会いを、シャーマンが創世神話を語りながら、解釈してくれることを期待していたのだが、期待はずれだった。

サント・ダイミの礼拝も同じだった。善男善女が集い、茶を飲んで歌い踊り、そして抱き合って、家に帰り、寝る。教会の礼拝なのだから、体験した内容を皆で語り合ったり、それを聖書の言葉と照らしあわせたりするのかと思っていたが、それは違った。

白いスーツを着た人に訊いてみたことがある。

「教会なのに、なぜ聖書について語り合わないのですか」
「このお茶は「ダイ・ミ (Dai me)」といいます。「私に・ください(give me)」という意味です。「私に教えてください」という心で「お茶」を一服すれば、その人に必要なことは、すべて「お茶」が教えてくれます。蔓が力を与えてくれます。葉が光を与えてくれます。それが全てです」

15世紀に生きた風狂の禅者、一休宗純は「仏法も茶の湯の中にあり(Dharma - the truth is in a cup of tea)」という言葉を遺し、京田辺の草庵で没した[*5]。それを弟子の村田珠光が「茶禅一味」という語にまとめた。そして利休が佗茶を集大成した。

「お茶」の中に、真理(Dharma)がある。

茶を裁くことはできない。人間が茶を裁けば、人間が茶に裁かれてしまうだろう[*6]



このように私は聞いた。

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CE2020/10/15 JST 作成
CE2020/10/28 JST 最終更新
蛭川立

*1:Je hais les voyages et les explorateurs. Et voici que je m'apprête à raconter mes expéditions. レヴィ=ストロース川田順三(訳)『悲しき熱帯(Ⅰ)』中央公論社, 4. I hate travelling and explorers. Yet here I am proposing to tell the stories of my expeditions. 1973, John & Doreen Weightman (trans.), Tristes Tropiques, 2011

*2:"My God! Full of stars!" (映画『2001年宇宙の旅』における、ボーマン船長の最後の言葉。

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*3:

聖なるもの

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*4:

パンセI (中公クラシックス)

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Pensées.

*5:山上宗二(1544-1590年)『山上宗二記』

*6:Amazon | Holy Bible: Nestle Aland 28th Revised Ed of the Greek New Testament With Revised Greek-english Dictionary | Institute for New Testament Research | Reference