DMTea Ceremony Case

アヤワスカ茶が争われている最初の裁判

看脚下 ー第三回公判ー

弁護人の意見陳述

2020年9月7日に行われた第三回公判では、弁護人が検察側に対し、矢継ぎ早に意見陳述を行うという、今までにない展開となった。

茶は麻薬として規制されてこなかった

「本件は、DMTを含有する天然植物から煮出した飲料であるアヤワスカ及び、アヤワスカ・アナログを日本で初めて取締対象とした事例である」

喜久山弁護士は、過去にもアヤワスカやDMTを含む植物や茶の存在が知られてきたにもかかわらず、規制されてこなかった事例を列挙した。以下は喜久山弁護士の発言を著者が要約、補足したものである。

1、2006年6月16日、厚生労働省と東京都は、渋谷区で「違法ドラッグ(いわゆる脱法ドラッグ)」、つまり薬事法上の無承認無許可医薬品を販売していた業者に対して、立ち入り検査を行い、その破棄と販売中止を始動した。7月28日に厚生労働省医薬食品局監視指導・麻薬対策課は「違法ドラッグ(いわゆる脱法ドラッグ)を植物標本、お香等と称して輸入販売等を行っていた業者に対する立入検査等について」と題するページをアップした。違法ドラッグ( いわゆる脱法ドラッグ)の起源となっている植物として、「アヤワスカ関連植物」が挙げられている。

「違法ドラッグ」は「脱法ドラッグ」とも、「合法ドラッグ」とも呼ばれており、名称が混乱していた[*1]。2005年11月25日付で同省のホームページ上に公開された「脱法ドラッグ対策のあり方に関する検討会」に よれば、違法ドラッグ(いわゆる脱法ドラッグ)とは、「麻薬又は向精神薬には指定されておらず、それらと類似の有害性が疑われる物質であって、人に乱用させることを目的として販売等がされるもの」と定義されている。つまり、「アヤワスカ関連植物」は、麻薬又は向精神薬取締法では規制されていない、という見解である。

2、2008年10月1日未明に、大阪の繁華街で火災が起こり、ある男性が放火の疑いで逮捕された。その男性は前日、9月30日の昼間に奈良で行われたサント・ダイミの礼拝に参加していた。大阪府浪速警察署は、サント・ダイミの関係者からダ イミ茶を領置した。含有成分の検査も行われたはずだが、その後、麻薬所持としての捜査は行われていない。犯行にダイミ茶の影響があるといった事実認定は一切されず、逮捕された男性は、サント・ダイミとは無関係に、起訴され、裁判が進んだ。

厚生労働省は2008年10月27日に「いわゆるダイミ茶等について」と題するページを公表した。そこには、ダイミ茶の中に、麻薬として指定されているDMTが含まれていると書かれているが、しかし茶自体については「ダイミ茶はアヤワスカと呼ばれるものの一部です。ダイミ茶以外のアヤワスカの中にも、同様の作用を示すものがあるとされてい ますのでご注意下さい」としか書かれていない。つまり、DMT自体は麻薬として規制されているが、DMTを含有する茶は麻薬として規制されていない、という見解である。

「したがって、厚生労働省アヤワスカ及びアヤワスカ・アナログが麻薬ではないとの見解を有していたのである。しかし、厚生労働省がなぜ、いつ麻薬及び向精神薬取締法の法律解釈を改めることになったのかは公にされていない。たとえ現時点において、厚労省アヤワスカ・アナログを麻薬であると結論づけていたとしても、その解釈の変遷は、極めて恣意的かつ場当たり的といわざるを得ない」


ブラジル由来のアヤワスカ宗教

2008年に起こった火災事件のときには、テレビの報道番組が、私のところに取材に来た。アヤワスカ茶やブラジルの宗教運動の研究者としての意見を求められた。

1、サント・ダイミは、ブラジルで1930年代に始まったカトリック系の宗教運動であり、そこからUDV、バルキーニャ、ウンバンダイミなど、多数の団体が派生した。ブラジル政府は、これらの宗教団体の調査を行い、参加者のモラルは高く、反社会的組織や、反体制運動との関係もないため、1980年代に、宗教法人として公認された。とくに、サント・ダイミは、1990年代以降、都市部の知的な階層の間で広がっており[*2]、欧米などブラジル国外にも広がり、各国で法的な問題が起こっている。日本での活動の実態については、よく知られていない。

2、サント・ダイミが礼拝で使用する「ハーブティー」とは「ダイミ」茶のことであり、アマゾンの先住民族が宗教儀礼に用いてきた、アヤワスカ茶とも呼ばれる薬草茶である。アヤワスカ茶には、DMTなどの精神展開薬が含まれており、宗教体験を引き起こす。一時的に、日常的な時空の感覚が失われ、正常な判断力が失われる可能性があるが、その効果は、礼拝が終わるより前、3〜4時間程度で終わる。アルコールによって暴力をふるうような攻撃性が引き起こされるのとは逆に、むしろ穏やかで平和的な感覚になる。それゆえ、アヤワスカ茶を服用した翌日に、アヤワスカ茶の作用によって暴力犯罪が起こるとは考えにくい。

3、アヤワスカ茶は、うつ病など、神経症圏の精神疾患を改善するという研究があるが、統合失調症など、精神病圏の精神疾患を悪化させる可能性がある。しかし、アヤワスカ茶が精神疾患の原因にはならない。もし容疑者が心神喪失状態で放火に及んだのが事実だとした場合、彼は、アヤワスカ茶を服用する前から精神疾患に罹患していた可能性が高い。

私は、取材スタッフに対し、以上のように説明した。取材スタッフは、容疑者は現在、精神鑑定中であると答えた。その後、容疑者は心神喪失状態にはなく、正常な責任能力があるとして、裁判が進んだと聞いた。

日本では、1990年代から、サント・ダイミから派生したセバスチャン折衷派とウンバンダイミが活動しているらしい。UDVも活動しているという情報もある[*3]、が、これらの団体は、WEBサイト上などで情報を公開しておらず、正確な実態を知ることができない。日本にはサント・ダイミと、それらから派生した宗教団体には、いずれも統一組織がなく、独自の教会もない。大阪での火災事件のときも、今回の青井事件に関しても、公式のコメントは発表されていない。

逆に、自然崇拝と仏教を基本理念とする薬草協会もまた、ブラジル由来のキリスト教系宗教運動とは関係を持っていない。使用している薬草の種類も違う。薬草協会の茶は、植物と医薬品の組合せである。

日本では、サント・ダイミは会員制の団体ではない。「私はダイミスタだ」というのは、個人の心情の問題である。たとえば「私はキリスト教徒だ」というのと同じである。

ブラジルのサント・ダイミと関係のある個々人が、日本の各地で自発的に礼拝を行っており、こうした活動が、短期間で、生成消滅、離合集散を繰り返しているようである。これは、日本だけではなく、サント・ダイミ、とくにセバスチャン折衷派の特徴でもあり、さらには、ブラジルの宗教運動の特徴でもある。

日本で、アヤワスカ茶を用いるブラジル系宗教運動の全体像が知られていない理由をいくつか挙げることができる。

第一は、逆にいえば、何らかの事件によって取り締まられていないからである。その支持層は中産階級であり、反社会的な組織や、反体制的な運動と結びついていない。

第二の理由として、アヤワスカ系宗教は、学校を作ったり、病院と共同研究を行うなどの、社会的活動を行っていない。

第三の理由としては、日本では、他のキリスト教圏の国々と違って、教会の権威が弱い。それゆえ、アヤワスカ茶を用いる教会が異端視され、問題になったことがない。


追起訴と取調べの異常さ

喜久山弁護士の意見陳述が続いた。

「本件では、合計7件もの公訴提起が行われた。少なくとも(5)〜(7)事件については、量刑上何らか影響のある追起訴とは思われない。そのような追起訴を繰り返すこと自体が、裁判所に対して被告人の有罪心証を形成させ、悪感情を与える戦略とも考えられるが、本件がアヤワスカ・アナログに関する初めての事件であることから、検察官がどの程度の事実関係があればどの罪が成立するかを試行するための、実験的起訴を行っているとも見るべきである。

また、検察官は本年4月6日に(1)事件を起訴した後に、弁護人から指摘されるまで向精神薬条約についての国際麻薬統制委員会(INCB)見解を全く把握していなかった。

そこで、検察官は不当な追起訴を続けることによって弁護人主張に対する再反論を検討するための時間稼ぎを行っていると見ることもできる。追起訴を繰り返す検察官の思惑が、有罪心証の形成や、実験、時間稼ぎのいずれにあるにせよ、刑事訴訟は被告人の人権を著しく制約して行われるものであるから、公益の代表者たる検察官の職責に悖るような公訴提起及び訴訟追行は厳に慎まれるべきである。

また、被告人によれば、8月24日、京都地方検察庁において、取調べを受けている際、検察官から「次回公判で、どんな主張をするの?」「無罪になったらどうするの?」等の発問がなされたとのことである。

被告人は、弁護人立会いもない孤立状態で上記質問を受けており、このようなことは、弁護人との秘密交通権を侵害するのみならず、被告人の防御権を直接に侵害するおそれのある違法不当な行為である。

上記のような検察官の異常な対応は、本件が十分な捜査のもとに行われたものでないことを雄弁に物語っており、被告人に対して速やかに無罪判決を下すか公訴権濫用ゆえに本件訴訟手続きは即時に打ち切られるべきである」

公益の代表たる検察官は押し黙ったままである。

弁護士が詰問し、検察官が黙秘する。これは裁判のコペルニクス的転回か。

検察官に対する被告人の反論

検察官が、アヤワスカ・アナログ茶は麻薬であるDMTを抽出したものであって、植物の一部分ではない、と主張したことに対し、青井被告の反論が行われた。

検事さんは、アヤワスカ茶はDMTの水溶液であり、健全な社会常識に照らして明らかに麻薬であり、植物ではないといいます。

では、クジラは魚ですか?コウモリは鳥ですか?

被告人の的外れな発言は、法廷という場の空気から完全に浮かんだ。

温厚そうな裁判長が、失笑しながら、被告人をなだめた。

被告人は、陳述を止めなかった。逮捕されたのが3月3日。これだけのことを言うために、半年も待たされたのだといって、譲らなかった。

いつもはシャイでお茶目な彼が、今日こそはやったろやないか、と言わんばかりに、右腕を大きく振り上げた。こんなに雄弁な姿を、はじめて見た。

地面は星ですか?

いま立っている、この地面が高速で自転しているということは、私たちの五感では知覚できませんが、科学的事実です。

ここで問題になっているのは、「地球は平らで止まっている」という、主観的文化的な世界のとらえ方である、環世界、ウンベルト[*4]」 と、「地球は丸く、回転している」という、科学的客観的な世界のとらえ方である環境、ウムゲーブング[*5]」の区別です[*6]

私は裁判のことに疎い一般人ですが、それでも過去の判例をひとつ知っています。地動説を支持したガリレオ・ガリレイさんです[*7]

ガリレオさんは地動説を支持した自著の出版を反省したそうです。拷問のような調ベに耐えかねて自白したということもあったようです。検察側は、無期懲役を求刑しました。

十人の裁判官のうち、三人が、自白は証拠にならないという少数意見を述べたので、判決は、無期軟禁だったそうです。

ローマ法王ヨハネ・パウロ二世さんが、ガリレオさんが無罪だと謝罪したのは、それから三百年後でした。

今でも、私たちのほとんどは、宇宙から地球の丸さを、生で見たことがないと思います。しかし、地球は丸いということを知っている。 地球は平らだというウンベルトに反するのに、それが事実であることを知っている。これは、科学に携わる者の地道な努力が科学史を進めてきたからです。

今ここで、その努力を無視して裁くということは、三百年の科学の進歩を、無に帰してしまうことに等しいのです。

検察官は、そういう質問には答える必要はないと言った。それだけだった。

裁判長は、すこし心配そうな表情で、検察官の顔を覗き込んだ。

検察官が苛立っているのがわかった。

裁判長が閉廷を宣言した。


それでも地球は回る

青井被告と私は、裁判所を出た。

台風は通りすぎた。スコールが去って、太陽が戻ってきた。九月になっても、京都はまだ暑い。

二人は黙って歩いた。舗装道路は、照り返しが強い。

検察官は苛立っていた。しかし、私も苛立っていた。

いったい、この裁判はいつ終わるのか。私は裁判など初めてだ。弁護士に聞いても、こんな裁判は初めてだという。同じような事件の判例もない。

隣を歩いている青井被告のほうを見た。彼は、前を向いて、涼しい顔をして歩いている。彼は、こんなに暑くても平気らしい。

丸太町橋の階段から、鴨川に降りた。

川の向こうに、北山が見えた。

北から南に向かって、きらきら光る水が流れ、南から北に向かって、涼しい風が吹き抜けていく。

青井被告は、やはり、涼しい顔をしている。

彼は立ち止まった。

「足下を観てください」[*8]

私も立ち止まり、足下を観た。

足下には、地面があった。

「ほら、地面は動いているでしょう?」彼は、いたずらっぽく笑った。

足下には、地球があった。



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CE2020/09/08 JST 作成
CE2021/03/16 JST 最終更新
蛭川立

*1:2014年7月に、厚生労働省は「「脱法ドラッグ」に代わる新呼称名を選定しました」と題するページを公表し、「危険ドラッグ」という呼称に統一するとの見解を示した。

*2:中牧弘允(1992)「茶を飲まずんば幻覚をえずーブ ラジルにおける幻覚宗教の疫学ー」脇本平也 ・柳川啓一編 『現代宗教学(1) 宗教体験への接近 』31-59, 東京大学出版会

「幻覚宗教の疫学」などという伝染病のような比喩はいささか不適切だが、この論文はブラジルでのアヤワスカ系宗教運動について、日本語で読める良質な情報源であり、私の知識もこの本に負うところが大きい。

*3:Coe, M., McKnnna (2016). The Therapeutic Potential of Ayahuasca | SpringerLink

*4:Umwelt。「環境」とも訳される。

*5:Umgebung

*6:UmweltとUmgebungについては、ユクスキュル『生物からみた世界』を参照。
ユクスキュル, J. von, クリサート, G 日高敏隆・羽田節子(訳)(2005).『生物から見た世界』岩波書店.

ユクスキュルは、生物の周囲の環境は、その生物の意味世界であり、客観的な環境ではない、と主張しているのに対し、青井被告は、環境を主観的に歪めるのではなく、主観から離れた客観によってとらえるのが科学だと主張している。これは、青井被告の純粋経験についての議論ともつながっている。

*7:ガリレオ裁判については、たとえば、以下の文献に日本語の概説がある。
豊田利幸(編)(1979).『世界の名著 26 ガリレオ中央公論新社.


田中一郎 (2015).『ガリレオ裁判―400年後の真実―』岩波書店.

*8:『五燈會元』にある原文では「看却下」。
普濟(編)(1300).『五燈會元20卷 [8] 』