日本の地図
北緯35度線、東経135度線を追うと、その交わるところに、日本標準時(UTC+9)の基準となる明石市を発見できる。日本標準時とブラジリア標準時(UTC+3)の時差は、ちょうど12時間あり、明石の対蹠点、南緯35度、西経45度の交わるところは、リオグランヂ・ド・スル、ポルト・アレグレの近海に存在する。
古代より明石は海運の要衝であり、ブラジルに渡った日系人の多くは、明石の東にある、神戸港から船出した。船出を待つ日本人たちが滞在していた建物は、神戸港を見下ろす丘の上に建っており、今では日本・ブラジル協会の本部となっている。
起源神話が伝えるところによると、日本の国は、明石の対岸にある淡路島から始まったという。歴史上の記録によると、統一国家としての日本の政治的センターは、6世紀までに奈良に出現し、その後、首都は8世紀に京都に遷都し、19世紀に東京に遷都した。被告人が生まれた伊勢は、第二次大戦まで、日本の国教であった神道の祭祀上のセンターであった。
現在、日本の政治的、経済的、文化的センターは東京にあるが、これから語られる物語は、東京遷都以前の古都、京都から始まる。
あなたは、東経135度線と、北緯35度線の交わるところに、日本を見つけることができる。
この交点にある明石市の天文台が日本標準時の基準である。それはブラジリア標準時と12時間の時差がある。その対蹠点、つまり西経45度、南緯35度の交わる点は、リオグランヂ・ド・スル、ポルト・アレグレの沖合に存在する。
古代より明石は海運の要衝であり、ブラジルに渡った日系人の多くは、明石に隣接する、神戸から船出した。船出を待つ日本人たちが滞在していた建物は、神戸港を見下ろす丘の上に建っており、今では日本・ブラジル協会の本部が置かれている。
起源神話が伝えるところによると、日本の国は、明石の対岸にある淡路島から始まったという。歴史上の記録によると、統一国家としての日本の政治的センターは、6世紀までに奈良に出現し、その後、8世紀に、京都に都が築かれた。19世紀に東京に遷都するまで、京都は日本の首都でありつづけた。そこは、今でも文化的なセンターである。