DMTea Ceremony Case

アヤワスカ茶が争われている最初の裁判

酔生夢死 ー第二回接見ー

京都府京田辺市

西暦2020年、仏暦2563年6月28日

2回目の接見は、6月に実現した。被告人はいったん保釈されたが、6月初旬の初公判で、自らの行為を「菩薩行」だと主張して罪状を否認し、そして再逮捕され、また郊外の留置所に戻っていた。

3月上旬から6月上旬まで、実に三ヶ月も留置所に拘束され、また留置所の暮らしである。これではまるで懲役刑だ。人権侵害も甚だしい。

今回も、Skypeを通してのテレ面会だった。『田辺九番起訴太郎』は相変わらず自由闊達だった。

「こう言っては失礼ですが、もうディズニーランドですね、ここは」

「いつも、なぜそんなに自由なのですか」

「お茶(O cha)をたくさん飲んだ(beber)からです」

「お茶を飲む(beber)ことで何が得られたのですか」

「お茶から得られるのは、『酔い(bebederia)』です」

「知恵(sabedoria)?」

思わず問い返した。聞き間違えたのかと思った。

「いえ『酔い(bebederia)』です。『酔い(bebederia)』によって『知恵(sabedoria)』が得られるというわけです」

彼は、ときどき奇妙な言葉を使う。それでは、彼の言う「酔い(bebederia)」とは何か。

「『酔い[ as bebederierias]』には、ざっくり三種類あります。『オピオイド酔い ["a bebederia do opioide"] 』と『カテコール酔い ["a bebederia do catecol"]』と『インドール酔い ["a bebederia da índole"]』です。人間は生きているかぎり、何かに酔っていなければ生きられないというわけです。留置所は社会の外部ではありません。むしろ社会の縮図です。留置所という厳しい環境では、闘いの適応戦略(strategy)が試されます。氷河期にネアンデルタール人は滅びましたが、ホモサピエンスは闘って生き延びました。ホモサピエンスは三種類の『酔い』を使い分けて生き延びる戦略を進化させました」



拘留生活が二ヶ月目に入った、ある曇り空の午後、ひとりの気高く美しい女性が留置所に姿を現した。そしてこの殉教者に、一冊の書物を差し入れた。その書物には、愛(agapē)の言葉が綴られていた。

ポルトガルから福音を伝道すべく派遣されたイエズス会の修道士、マヌエル・ダ・ノブレガは、1549年、トゥピ人の土地、つまり、ブラジルのサルバドールに上陸した[*1]。そして同年、フランシスコ・ザビエルが日本の鹿児島に上陸した。
 
ジャポンという、この極東の島民たちは神の言葉に大いに関心を示し、熱心に学び始めた。ザビエルは、この島の人々は、善良にして礼儀正しく、今まで出会った異教徒の中で最も優れた人々であると感嘆し、彼らは良きキリスト者になるに違いないと、本国ポルトガルに報告書を書き送った。
 
しかし日本の将軍は、キリスト教の布教は、ポルトガルが日本を植民地支配するための口実だと決めつけた。サムライたちが刀を振りかざし、信心深い「切支丹(刀で斬り殺すべき人々)」たちを徹底的に弾圧し、やがて日本は白人を国外追放し、鎖国した。

しかし、暴力は信仰の灯火を消すことはできなかった。
 
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである(Blessed are those who are persecuted for righteousness’ sake, for theirs is kingdom of heaven)[*2]

「その本を読んで、どう思いましたか」

「なんだか不健康ですね」

あっさりひと言でで片付けられてしまった。

この人を見よ(Ecce homo)[*3]。なんという罰当たりな『反キリスト者[*4]だろうか。

マルクスさんは宗教は民衆のアヘンだ(Die Religion … ist das Opium des Volks.)[*5]」といいました。アヘンとはケシの樹液です。アヘンから単離されたモルヒネオピオイドです。つまり鎮痛薬です。そして1975年にブタの脳から内因性モルヒネであるエンドルフィンが発見されました。向精神薬と同じ働きをする物質が後から脳内で発見されることはよくあります。DMTもそうです。痛みを感じると、視床下部弓状核のニューロンからβ-エンドルフィンが分泌され、中脳腹側被蓋野のμ-オピオイド受容体のアゴニストとして作用し、痛みを麻痺させます。痛めつけられれば痛めつけられるほど、β-エンドルフィンが分泌され、痛みは快楽に変わります。マゾヒズムの脳内機序です。これが『オピオイド酔い["a bebederia do opioide"] 』です。オピオイド酔い闘争を、自分は『ルート1』と定義しました。オピオイドには耐性と身体依存性があります。だから『オピオイド酔い["a bebederia do opioide"] 』は不健康です」

マルクスさんがどうのこうのと言っているが、彼が「ヘーゲル法哲学批判」などを読んでいるはずがない。どうせ『面白くて超簡単!マンガでわかる現代思想!』のたぐいの本から仕入れた、いいかげんな知識だろう。しかしマルクス唯物論的宗教批判を内因性モルヒネの作用機序として解釈するのは、生物学オタクである彼の独壇場だ。

彼は、いま、薬草ライフの続編として、獄中ライフの本を書いているのだといって、小学生のような文字でノートに走り書きした、ホモサピエンスの適応戦略の進化モデルを見せてくれた。

「酔い」 オピオイド酔い カテコール酔い インドール酔い
神経伝達物質 エンドルフィン ドーパミン セロトニン
  ノルアドレナリン DMT
向精神薬 オピオイド鎮痛薬 精神刺激薬 精神展開薬(psychedelics)
依存性 身体依存 精神依存  
耐性 耐性 耐性 逆耐性
宗教 キリスト教[*6] 資本主義 仏教
欲望 禁欲 欲望 瞑想
支配 被支配 支配  
闘争 ルート1 ルート2 ルート3
愛の様相 恢(ハイ) 愛(アイ)
合言葉 (閉じていく) やってやり やっていき

過度な図式化である。彼の世界観の中では、人間の思想と行為が、すべて神経伝達物質の増減に還元されてしまう。

「それではキリスト教も依存性薬物ですか」

「国家管理用の宗教に変質させられた後のキリスト教です。敵が強ければ強いほど『こんなに強い敵に虐げられて抵抗して頑張って、でも抑圧されている私たちってなんて立派で偉いんでしょう』という酔いが発生します。これは支配する側に都合の良い酔いです。陰謀論(conspiracy theory)にも好適な生育環境です。やっていることは立派かもしれませんが肉体的健康が損なわれます。WHOの定義によれば、健康とは、肉体的、精神的、社会的、そして霊的の四要素からなる動的平衡状態です。ひとつでも失えば闘えなくなります。これが『ルート1』の弱点です。そしてこの『オピオイド酔い』と共進化してきたのが『カテコール酔い["a bebederia do catecol"]』です。自分はこのカテコール酔い闘争を『ルート2』と定義しました。つまりマックス・ウェーバーさんの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus)』[*7]です」

マルクスさんの次はマックス・ウェーバーさんが出てきた。どうせまた『マンガでわかる現代思想!』から仕入れた知識だろう。

ギリシアプラトン主義と出会い洗練されていったキリスト教思想の霊性は、19世紀のドイツにおいては、すでに形骸化していた。資本主義は、そこから生まれた。カトリックが僧院を中心とする現世拒否的禁欲(weltablehnende Askese)という倫理にもとづいていたのに対し、世俗化され、聖別された僧院を否定するプロテスタントの倫理は現世内的禁欲(innerweltliche Askese)である。禁欲的な労働が蓄積を生み、蓄積がさらに資本主義を発展させた。

日本では、拘置所で暮らす人々の多数派は「ヤクザ」と呼ばれるマフィアのメンバーである。彼らはもっぱらメタアンフェタミン覚醒剤)の違法取引によって資金を得ている。どうやら被告人も、メタアンフェタミンを取引していたと勘違いされてしまったらしい。

「ヤクザさんたちはカテコール酔い闘争、つまりルート2によって拘置所での生活に適応しています。ホモサピエンス氷河時代を生き延びた第二の適応戦略です。ヤクザさんたちは社会に対して怒り、社会の中で犯罪を犯し、拘置所に入れられ、拘置所に入れられたことに対してまた怒り、またその怒りを原動力にして生き延びます。ヤクザさんたちは反社会的ではありません。資本主義社会に『過適応』しているというわけです。ヤクザさんたちは、ノルアドレナリンによる怒りを原動力にして戦い、勝利のドーパミンに酔います。負けるとオピオイド酔いに落ちます。負けが込んでくるとシャブを打ってカテコールアミンを補充します。つまりルート1と2はセットです。この依存スパイラルに落ちると、勝ち負けの現場から抜け出せなくなってしまいます。満足は得られますが、幸せは得られません」

19世紀、西欧列強の圧力に抗しきれなくなった日本は開国し、脱亜入欧を合言葉に、富国強兵の帝国へと急発展をとげつつあった。強壮作用のある漢方薬、麻黄からエフェドリンが単離され、そこからメタアンフェタミンが合成された。メタアンフェタミンは「ヒロポン(Philo-Pon(好き・労働))」という商品名で発売された。メタアンフェタミン「スピード」ともいう。どこまでも加速していくのが、資本主義の精神である。

この「労働好き」薬でカテコール酔い状態になった日本人たちは、強い帝国を築き、膨張し、自らが模倣した西洋文明と戦い、敗北した。敗戦後、国家が管理していたメタアンフェタミンが民間に違法に流出した。日本人は、その驚異的な勤勉さで祖国を、世界一安全で豊かな社会へと復興させた。その豊かさが絶頂に達し、頭打ちになった、1986年に、被告人は生まれた。私が京都大学に入学し、生物学の勉強を始めた年でもある。

「カテコール酔い」によって、日本人は努力し、技術を進歩させ、社会を進歩させた。しかし、人々は、その先にあるものを見失いつつあった。物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさが必要だと叫ばれた。けれども、早くから仏教寺院の形骸化が進んだ日本は、西洋におけるキリスト教以上に、精神的な救いを失っていた。



「留置所の食事をカンベンといいます。官製弁当のことです。ご飯は70%が米で、30%が麦です。コンビニ弁当よりもずっと味が薄くておいしくなかったのですが、毎日食べているとだんだん感覚が敏感になってきて、自分は食べものの微細(subtle)な味わいがよくわかるようになりました。それに慣れてくると拘置所の暮らしが楽になりました。『インドール酔い』が発生しました。セロトニンなどのインドールアルカロイドには逆耐性があります。留置所ではアヤワスカ茶は飲めませんが、松果体から内因性DMTが出るようになりました。お寺でお坊さんたちがやっている坐禅というのは自分が開発した松果体レーニングと同じだとわかりました。だから自分は臨済宗です。とんちんかんちん一休さん臨済宗です」

たしかに、被告人は、まるで一休さんのようだ。京田辺に庵を結んだ実在の禅僧、一休宗純というよりは、子供向けアニメの一休さんのほうだ。

ウェーバーは、キリスト教の思想の基本には「禁欲(Askese)」があり、これと対比されるように、仏教を含むインド的宗教の基本には「瞑想(Kontemplation)」があると分析した。ここでは、キリスト教の「現世拒否的禁欲(weltablehnende Askese)」と、仏教の「現世逃避的瞑想(weltflüchtige Kontemplation)」が対比される[*8]

この「瞑想」が、「インドール酔い["a bebederia da índole"]」である。

インドール酔いには、逆耐性がある。つまり、DMTを飲めば飲むほどに、内因性のDMTが分泌されるようになり、ついには、何も飲む必要がなくなる。禁欲をすれば、痛みを和らげるために内因性モルヒネが分泌されるが、それには耐性がある。瞑想をすれば、内因性DMTが分泌されるが、それには逆耐性がある。19世紀ドイツのキリスト教を肉体の軽蔑者[*9]と批判したニーチェは、いっぽうで仏教は宗教ではなく、いっしゅの養生法だと分析している[*10]

ヨーロッパをアヘンや酒のような「オピオイド酔い」から覚醒させたのは、植民地から持ち帰られたチャやコーヒーに含まれるカフェイン、コカに含まれるコカインだった。これらの物質は「カテコール酔い」を引き起こす。

チャの原産地である中国では、エフェドリンを含む麻黄が漢方薬として使われてきた。ヴェーダの時代のアーリア人たちは「ソーマ」と呼ばれる薬草を摂取することで絶対的な真理を得ていたとされるが、その正体は不明である。精神展開薬を含むキノコではないかという推論があるが、『リグ・ヴェーダ[*11]の中には、繊維質の植物だという記述があり、麻黄だという説も有力である。いずれにしても、インド人たちは、早くもウパニシャッドの時代までには、向精神薬を必要としなくなった。瞑想、つまり内因性DMTによる「インドール酔い」という技術を発見し、逆耐性を獲得したからである。

その後、仏教が形骸化した日本よりも早く、西欧社会でインドール酔いの再評価が進んだ。インドール系精神展開薬であるLSDが合成され、アメリカ大陸の先住民族の文化が再評価され、シロシビンやDMTなどを含む薬草が研究された。1960年代にはサイケデリック、ヒッピーといった対抗文化が発展したが、1961年の「麻薬に関する単一条約」が1971年の「向精神薬に関する条約」に改訂され、ほとんどのサイケデリックスが「スケジュールⅠ」として禁制品となった。

対抗文化は、前の世代が勝ちとってきたものに対して、対抗していた。彼らはカテコール酔いを、否定のために使い、創造のために使わなかった。自己の内部にある怒りを、外部の社会に投影していた。



マルクスはまた「ヘーゲル法哲学批判」で、ルターの宗教改革に触れ、「彼は僧侶を俗人に変えたが、それは俗人を僧侶に変えたからであった。彼は人間を外面的な信心から解放したが、それは信心を人間の内面のものとしたからであった」」[*12]と書いている。フーコーは『狂気の歴史』[*13]の中で、西洋近代における精神科病院が僧院に由来することを指摘した。ここでいう僧院とは、カトリックの僧院のことである。プロテスタントとは、カトリックの改革である。

フーコーはさらに『監獄の誕生』[*14]において、処罰から治療へという、外的な権力による支配が内面的な規範による支配へと変容したことを指摘している。人々は自由な暮らしを謳歌していると錯覚しているだけで、内面化されたパノプティコンに支配されているのである。

拘置所では筋力が落ちます」

「運動不足になりますか」

「特定の筋肉が落ちます。とくに自己決定筋が落ちます」

「自己決定権?」

「自己決定筋です。いったん保釈されて思い知りました。留置所では官製弁当しか食べられませんが、外の世界では何を食べるかを自分で決められます。外の世界にはビールや焼き肉やチョコレートを食べる自由もありました。保釈されてすぐにファミレスに行ってピザを食べました。てきめんに頭痛に襲われました」

「持病の頭痛が再発しましたか」

「拘留中に逆耐性ができてしまったので、刺激が強すぎたのです。娑婆の生活は楽しいですが、拘置所の生活は楽です。官製弁当はおいしくありませんが、娑婆にいるときみたいに、毎日何を食べるのかについて考えなくていいから楽です。決まった時間に起こされて、決まった時間に弁当が出ます。自分で考える必要がなくなります」

「しかし保釈されてまた再逮捕された」

「留置所に戻って、検事さんと再会できました。『またお会いできましたね』といって手を振ったら、なぜそんなに嬉しそうなのか、理解できないようでした」

「再逮捕されたのに楽しそうなのはおかしいですよ」

「だから、自分は、監獄の内部では、人は不自由という刑に処せられているが、監獄の外部では、人は自由という刑に処せられている[*15]。そして、人々は自由という刑から逃走するために[*16]各人にとって快適な監獄を、自らでつくり、その内部に収監される。だから、およそ現世は娑婆(苦しみに満ちた世界)であり、だから、監獄の外部など存在しない、と言ってやりました」

薬物犯罪に手を染めてしまった不良少年を反省させ、更生させようと思っていた若い女性検事は、この知能犯の理路整然たる意見陳述に、返す言葉を失った。

「でも、自分は検事さんを敬愛しています。留置所では、検事さんはいつも健康のことを気づかってくれました。自分の暮らしが何によって成り立っているのか、それへの敬意を忘れません。今回の逮捕に関わった人も、今まで私の身の回りの平和を守ってきてくださった方々です。ただ上司に従って仕事をしただけです。本当にご苦労さまです」

彼は繰り返し「感謝」という言葉を使う。豊かな社会で彼が何不自由なく成長できたのは「カテコール酔い」によってその豊かさを作り上げてくれ、それを維持してきた、一世代前の日本人たちだったからだ。



南米の先住民文化は、アンデス/アマゾンという二項対立でとらえることができる。アンデスケチュア人は「嘘をつくな、盗むな、怠けるな(ama sua, ama llulla, ama quella)」を挨拶の言葉として使うほどに謹厳実直な人々であり、15世紀、コンキスタドールによる侵略を受ける直前のインカ帝国の繁栄は、宗教改革が起こった西欧を凌駕するものであった。

アンデスの先住民たちは、コカの有効成分であるコカインを服用し「カテコール酔い」による帝国を築き上げた。

アマゾンの先住民たちは、アヤワスカ茶の有効成分であるDMTを服用し「インドール酔い」による、「霊的民主主義」[*17]を発展させ、「国家に抗する社会」[*18]を作り上げた。インドール酔い闘争、ルート3を積極的に維持し、発展させたのだ。

20世紀のブラジルで、アヤワスカ茶がカトリック出会った。サント・ダイミやUDVの起源と、その後の展開については、ここで私が詳述する必要はないだろう。

これらのアヤワスカ茶系新宗教運動は、はじめはアマゾニアのセリンゲイロ(ゴム樹液採取労働者)たちによる、いっしゅの黒人奴隷解放運動だったが、1970年代以降「BRICS」の筆頭であるブラジルの中産階級へと浸透した。アヤワスカ茶は、急成長をとげる資本主義に対するカウンターカルチャーへと変容をとげてきた。サンパウロクリチバといった大都市で、サント・ダイミがでインド由来の宗教思想を旺盛に吸収している。世俗化していく中で形骸化した「秘蹟(Sacramentum)」を取り戻そうとする新しいキリスト教が「瞑想」へ向かっている。

都合よく歪められたキリスト教が、民衆を「オピオイド酔い」にしてしまった。資本主義は「カテコール酔い」に乗って加速し続けてきた。典型的なメランコリー型うつ病は、とりわけ第二次大戦後のドイツと日本の国民病となった[*19]。DMTをはじめとするインドール系精神展開薬は、典型的なメランコリー型うつ病の特効薬として[*20]、またコカイン依存、アルコール依存の特効薬としても研究が進められている。

薬物によって薬物依存が治癒するとは、どういうことなのだろうか。

インドール酔い」が、「カテコール酔い」や「オピオイド酔い」を醒ますのである。

さらに逆説的なことに「インドール酔い」には逆耐性がある。酔えば酔うほどに、酔いから醒めるのである。



一週間後、大学の研究室で、この事件を紹介してくれた大学院生と会った。

「今回の面会はどうでした?」

「裁判の具体的な話をしたかったのに、ホモサピエンスの適応戦略だとか、壮大なビジョンを二時間も聞かされた。驚いた。彼はアホなようにみえて、じつは天才かもしれない」

「そうですか?ただのアホだと思いますけど。目の前の現実のことをちっとも考えていない」

「きみは、先月までは熱心に留置所に手紙を書いていたのに」

「せっかく心配して手紙を書いても『毎日マンガばかり読んでいます。ほとんどマンガ喫茶状態です』とか返事が来るんですよ。ちょっと、ふざけすぎじゃないですか」

「たしかに彼は『留置所はディズニーランドだ』とも言っていた」

「彼は大人になれていない。ようするに『大きな赤ん坊』なんです」

被告人は大きな赤ん坊だ。スター・チャイルドだ。彼の概念図に、ニーチェの「精神の三段階の変化」をつけ加えたくなった。

「酔い」 オピオイド酔い カテコール酔い インドール酔い
闘争 ルート1 ルート2 ルート3
三段階の変化 駱駝 獅子 幼児


わたしはあなたがたに精神の三段階の変化を教えた。どのようにして精神が駱駝になったか、駱駝が獅子になり、そして最後に幼児になるかということだ。
 
幼児は無垢である。忘却である。ひとつの新しい始まりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。
 
ーこのようにツァラトゥストラは語った(Also sprach Zarathustra)
[*21]



(これは、実際にあった事件にもとづいて書かれたエッセイです。)

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CE2020/10/27 JST 新版作成
CE2020/10/28 JST 最終更新

*1:植田めぐ美 (2019). キリスト教のトゥピ語翻訳とシャーマンによる再解釈―16世紀ブラジルの事例から― 総研大文化科学研究, 15, 65-85.

*2:「マタイによる福音書」5、10

*3:ニーチェ, F. 川原栄峰(訳)(1994).『ニーチェ全集〈15〉この人を見よ 自伝集』筑摩書房.

*4: ニーチェ, F. 原祐(訳)(1965).「反キリスト者」『ニーチェ全集〈第13巻〉反キリスト者・ほか』理想社.

*5:マルクス, K., エンゲルス, F. 出隆(訳)(1959).「ヘーゲル法哲学批判」『マルクス・エンゲルス全集(1)』大月書店, 415.

*6:被告人が言う「国家管理用に変質させられたキリスト教」のことであると断っておきたい。

*7:ウェーバー, M. 阿部行蔵(訳)(1965).『世界の大思想〈第23巻〉マックス・ウェーバー 政治・社会論集』河出書房新社, 117-235.

*8:英明「宗教倫理と現世」275-284)『宗教社会学』世界の大思想Ⅱ-7(宗教・社会論集)』209-357.

*9: ニーチェ, F. 薗田宗人(訳)(1982).『ツァラトゥストラはこう語ったニーチェ全集 第1巻( 第Ⅱ期) )』白水社.

*10: ニーチェ, F. 原祐(訳)(1965).「反キリスト者」『ニーチェ全集〈第13巻〉反キリスト者・ほか』理想社, 289.

*11:辻直四郎(訳)(1970).『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波書店.

*12:マルクス, K., エンゲルス, F. 出隆(訳)(1959).「ヘーゲル法哲学批判」『マルクス・エンゲルス全集(1)』大月書店, 422-423.

*13:フーコー, M. 田村俶(訳)(2020).『狂気の歴史―古典主義時代における―』新潮社.

*14:フーコー, M. 田村俶(訳)(2020).『監獄の誕生― 監視と処罰―』新潮社.

*15:サルトル実存主義とは何か』

*16:フロム『自由からの逃走』

*17:Harner, M. J. (1984). The Jivaro: People of the Sacred Waterfalls. Univ of California Pr. www.amazon.co.jp

*18:クラストル『国家に抗する社会』。ただし、クラストルは、アンデス/アマゾンという図式は単純化しすぎだとも指摘している。

*19:内海健 (2012). 『さまよえる自己―ポストモダンの精神病理―』筑摩書房.

*20:1960年代のアメリカでは、ジョン・カバットジンが二人のスズキ、日本から来た臨済宗鈴木大拙曹洞宗の鈴木俊隆の影響を受け、坐禅を近代化し、マインドフルネスという心理療法を作りだした。マインドフルネスがうつ病や薬物依存に有効だということはよく知られるようになったが、その化学的なメカニズムは、DMTを含むアヤワスカ茶がうつ病や薬物依存を改善することによって解明されつつある。

*21:和文は、以下の三種の翻訳を参考に作文した。

ニーチェ, F. 氷上英廣(訳)(1967).『ツァラトゥストラはこう言った(上)』岩波書店, 40. ニーチェ, F. 吉沢伝三郎(訳)(1993).『ツァラトゥストラ 上(ニーチェ全集〈9〉)』筑摩書房, 50. ニーチェ, F. 薗田宗人(訳)(1982).『ツァラトゥストラはこう語ったニーチェ全集 第1巻( 第Ⅱ期) )』白水社, 41-42.