2020年11月の第五回公判から、2021年3月の第八回公判までの4回の公判では、検察側と弁護側の短いやりとりが行われるだけで終わる、という、膠着状態が続いている。
2021年1月8日から3月21日まで、日本の大都市圏は、再び緊急事態宣言下となった。裁判は継続されたが、実質的な進展がない。傍聴人は減った。青井被告の出番もない。
検察側は、弁護側に対し、主張を裏づける証拠を出すように要求した。弁護側は、検察側に対し、主張を裏づける学術論文を13本、提出した。そのうち11本は、英文の論文であった。検察側は、英文の論文については、全文を日本語に翻訳しなければ正しく理解できないと主張した。弁護側は、全文を和訳するのは無理であるし、英語の論文は全文を提出しているので問題はないと主張した。
けっきょく、英語で書かれた論文については、抄録と主な図表だけを和訳することとなった。
論文の選定から翻訳までを行ったのは、喜久山弁護士、青井被告本人、そして、私と、それから5人ほどの協力者である。私は、必ずしも弁護側だけに協力したいわけではない。刑事裁判なのだが、被害者はおらず、そもそも、検察側と弁護側の議論は対立していない。対立しているようにみえるのは、ようは、検察側の不勉強による誤解である。喜久山弁護士は、初公判のときが初対面だったが、「検察側を教育してやりましょう」と言って私を口説いた。私は大学教授の社会的活動の一環として、薬物問題についての教育啓蒙活動に加わることにしたのである。
喜久山弁護士は、薬物事件が専門でもないのに、とても熱心に勉強してきた。それに対し、検察官たちは、ほとんど何も学ぼうとしていないようにみえる。仕事が忙しすぎてそんな勉強の時間もないが、といって、起訴を取り下げるなどということは、さらに厄介な大仕事になってしまう。私は、青井被告の行動には間違いも多々あったと考えているし、だから検察側の主張にも理があるとも思う。しかし、我々の血税によって生活と仕事を与えられている検察官に、謙虚に学ぼうという姿勢がないだけでも、私が彼らを信頼することができない、じゅうぶんな理由になった。
この裁判は、DMTという物質やアヤワスカという薬草茶について、公式に議論が行われる、想定外の、しかし非常に貴重なきっかけとなった。むしろ、検察側の背後にいる厚生労働省や科学捜査研究所などの専門家たちに、それを理解してほしいと考えている。
論文の翻訳作業は、できるだけ効率よく分担して行ったが、最終的には監訳者として、私がすべての翻訳結果を推敲した。分析化学から精神医学、研究に用いられた統計的分析方法など、私も、本業のかたわらで、必死で勉強した。京都大学から東京大学に編入し、心理人類学の方面に転向した私にとって、ミクロな生物学を学ぶことは、修士課程まで在学した京都大学で学んだことを思い出し、そして三十年にわたる生命科学の進歩に驚き、遡って学びなおす作業でもあった。京都地裁は、鴨川を挟んで、京大の対岸にあるから、公判のたびに、訪れるたびに、志学を胸に上洛したときのことも思い出させてくれた。
第八回公判では、ようやく和訳つき、13本の論文をすべて揃えて提出することができた。しかし、検察側の意見は、すべて不同意だった。どの論文のどの議論に問題があるのかは、いっさい示されずに、すべての論文に信頼性がないという理由で、すべてが却下された。さすがの裁判官も、いよいよ様子がおかしいと思いはじめたようだ。
青井被告は相変わらずのポジティブ思考で、これ、三十年早すぎましたね、と言って笑っている。彼が解説してくれたところによると、担当の立川検事は、翻訳資料を受けとろうとしたらしいのだが、上司から、不同意にしたほうがいいという指示があったらしい。この京都地裁で、同意した上で無罪判決が下されれば、次の大阪高裁で争うときに、不利になるから、という理由らしい。どういう意味だろうか。相変わらず、私には裁判の理屈というものがよくわからない。
どうやら、この京都地方裁判所で、青井被告に無罪判決が下ることは避けられなくなってきたということになり、京都地方検察庁、あるいは日本の検察組織の内部に、小さな揺れが起こり始めたらしい。それは私にも理解できた。
知識に対する謙虚さを欠いた人々が、洛外へと去ろうとしている。たとえ政治の中心が東京に移っても、京都はなお日本の文化を生成する場所であってほしい。そして、京都地方裁判所には、まだ読まれるには少し早すぎる研究成果が、日本語として保存されることになる。
国内外の研究者にも広く呼びかけたが、意外に反応は弱かった。日本でも、東京大学や、国立民族学博物館など、国立の専門研究機関をはじめとして、アヤワスカなど、中南米の先住民の薬草文化を、現地調査している人類学者は多い。精神展開薬の抗うつ作用に注目している医者や臨床家も多い。すでに、ケタミンやその異性体の臨床試験が行われ、製薬会社が流通の仕組みを作りはじめた。しかし、大学教授や医者などの協力者は、誰も現れなかった。仕事が忙しすぎて他のことまで引き受けている暇はない、という理由が多く、それは、もっともだった。もし私が参加していなければ、専門研究者で、協力者は誰もいなかっただろう。
なぜこの裁判が注目されないのだろう。物語性の希薄さについては、別の場所で論じたので、繰り返さない。
国外(出身者)のほうが反応がよい。もとよりDMT研究つながりだったDavid Luke(グリニッジ大学)、Andrew Gilmore(沖縄科学技術大学院大学)からは、専門的な助言をもらっており、さらに、裁判をきっかけにして、Steven Barker(ルイジアナ州立大学)とも知り合うことができた。欧米では、ブラジル系のアヤワスケイロ宗教が訴えられ、裁判になっている。ただし、この日本での裁判が、ブラジル系宗教団体とも、どんな団体とも関係のない個人が起こした小さな事件であることは、説明しても理解されにくい。
しかし、背景の事情がどうであっても、人口一億人の先進国である日本の裁判所で、DMT含有茶が合法か、かりに違法だとしても宗教行為であれば認められるという判断が出れば、その判例は、国際的な影響力を持つ。
第五回公判以降、裁判はあまり進展していない。しかし、青井被告も役者である。傍聴者を飽きさせない。12月21日、冬至の日の午後に行われた第六回公判の後、京都地方裁判所に隣接する弁護士会館で、喜久山弁護士による、裁判の論点解説が行われた。聴衆は二十人ほどだっただろうか。
聴衆の中にいた青井被告は、唐突に立ち上がると、隣に座っていた婚約者の手を取り、おもむろに登壇した。聴衆が、何が起こっているのか考える暇もなく、たちまち二人は熱い抱擁と接吻を交わした。ブラジルでは当たり前の挨拶だが、日本人は、公衆の面前では、まず、このような行為は行わない。聴衆は呆気にとられていた。二人は、いまここで、婚姻届にサインするのだと、高らかに宣言した。
なぜこのタイミングなのか。無罪を勝ちとった祝いに、あるいは獄中結婚という話はあるが、これはまた想定外の事態であった。
さらに、この裁判所結婚に相応しく、証人として、喜久山弁護士が指名された。そして、もうひとりの証人として、私が指名された。寝耳に水だった。私は公的には裁判には何もかかわってなかったし、祝いも何も用意していない。さすがに前科はないが、離婚歴もあり、こと家庭生活においては人生の先輩だといえるほどの資格もない。
そもそも、婚姻届における証人とは何であるのかも、よく知らなかった。さいわい、隣にいた法律の専門家、喜久山弁護士に、証人の意味を聞くことができた。婚姻届における証人とは、両者が結婚するという意志のあることを確認する、それ以上のものでも、それ以下のものではないと教わった。私は二人に結婚の意思があるのかを聞いて確かめ、婚姻届にサインした。せめてものサプライズとして、たまたま持っていたトンパ文字で掘られた印鑑を押した。
婚姻届は、夫婦いずれの出身地でも居住地でもない、しかし、そう遠くない将来、国産アヤワスカ文化発祥の地として理解されるであろう、京都市、中京区役所に提出され、受理された。
CE2021/03/15 JST 作成
CE2021/04/03 JST 最終更新
蛭川立