DMTea Ceremony Case

アヤワスカ茶が争われている最初の裁判

再度の結審・第十八回公判

西暦2005年7月5日、火曜日。京都地方裁判所



公判に先立って、裁判所の斜め奥にある弁護士会館で、喜久山弁弁護士による説明会が行われた。

同志社大学政策学部で行政法を研究している中尾祐人准教授が十名ほどのゼミ生を連れて実習に来ていた。

弁護人に次いで登壇した青井被告は、いままでの裁判をひととおり振り返った後、前橋地裁で行われている大麻裁判に言及し、大藪被告に対する支持を表明した。

「自分の「お気持ち」を言うと、大麻取締法さえなければ自分はこんな活動をしなくてよかった。アヤワスカは特殊なものですから、こっそりやります。大藪裁判[*1]が通れば、こんな活動はしなくていいんです。あくまでも「お気持ち」ですが」

「お気持ち」というのは、同じ薬物裁判の被告人としては公的には何も言えないが、あくまでも個人としての心情を述べた、という意味だろうか。



開廷は午後1時30分。法廷に三人の裁判官が入室し、全員が起立して一礼し、着席した。左陪席が新しい裁判官に交代した。

安永裁判長が前回までの公判について簡潔に説明した。

「証拠調べ終了します。論告を」

立川検事が再度の求刑を行った。

「あらためて求刑申し上げます。懲役四年。水溶液については没収」

次に、裁判長が喜久山弁護人のほうを向いた。

「弁護人」

喜久山弁護士が応えた。

「述べさせていただきます」

一月の最終弁論に引きつづき、弁護人の喜久山弁護士は堂々としていて、どこか余裕さえ感じさせた。

「この、前代未聞の裁判の結論を決するにあたっては、目に見えない真実を受け入れることが必要だというお話をします。

すでに1月11日に弁護人の弁論は行いましたので、論点を無理やり絞って、大きく二つのお話をします。まず、5つ、木製食器を用意してみました」

彼は、直径15センチほどの木製のサラダボウルを五個とり出して、机の上に並べた。

「裁判官、検察官はこれが何か分かりますか?」

マジックのショーのようだ。

事前に打ち合わせをしてあったのか、書記官が立ち上がって、一つひとつのサラダボウルを取り上げ、三人の裁判官と検察官の机の上に置いた。

三人の裁判官と立川検事は目の前に置かれたサラダボウルからは目をそらし、書類に目を落としている。

「これは、市販されている、アカシア・コンフサ、相思樹のサラダボウルです。販売しているのは、キャンプ用品を扱う日本の企業です。これに野菜を入れて、レモンやオリーブオイルのドレッシングをかけて食べることができますか?ここに水を注ぐことはできますか?」

裁判官も検察官も、喜久山弁護人の話を無視しているように見えた。

「どうして躊躇してしまうのでしょうか?」

裁判官も検察官も、躊躇というよりは、呆れているように見えた。
 
新任の若い裁判官だけが目を丸くして喜久山弁護士の話を聞いていた。

「植物は麻薬ではない、と言われているのに、もし水を入れて成分が溶け出してしまうと麻薬を製造したと罪に問われかねないからです。 クエン酸が入っていればDMTの抽出効率が高まる、と検察官は言いました。ドレッシングにレモン汁を使えばアウトですか?洗うためにお湯を注ぐのは問題ないかも知れませんが、食べたり飲んだりするという、経口摂取の目的がある場合はアウトですか?

しかし、私達ですら恐れ、戸惑い、目の前の食器に触れることすら躊躇しています。この目には見えない気持ち、恐怖心こそが、萎縮効果です。通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準はどこですか? 植物由来のDMT含有水溶液を麻薬として処罰することは、これほどまでに日常の自由を奪ってしまう不合理なことです」

弁論は続く。

「次に、科学の歴史の話をしましょう」

こんどは科学史の話が始まった。

「アメデオ・アボガドロが同一圧力、同一温度、同一体積の気体には同じ数の分子が含まれているとの仮説、アボガドロの法則、そして分子という概念を提唱したのは1811年のことでした。その後しばらくの間、科学者の間では原子や分子が実在するかを巡っては、未だ観測することができないことを理由として否定的な見解が多かったといいます。

しかし、1905年、アルベルト・アインシュタインが、ブラウン運動に関する論文を発表します。1905年はアインシュタインの奇跡の年[*2]といわれています。ブラウン運動とは、液体や気体中に浮遊する微粒子が不規則に運動する現象をいいます。ロバート・ブラウンは1827年、植物の花粉を水に浸したとき、浸透圧のため花粉が破裂し、中から流れ出した固体微粒子、デンプン粒が、溶媒である水の中を生きているように動くことを顕微鏡下で発見しました。

アインシュタインは、熱運動する媒質の分子の不規則な衝突によってブラウン運動が引き起こされているという理論を明らかにしました。この理論が実証されたことで、分子という存在が実在することが証明されるに至りました」

立川検事はずっと書類に目を落としたまま、左手を上に挙げて指を動かしたり、左の頭を掻いたり、そして何度も、法廷の後ろにある時計を睨んだ。

「2020年9月7日の第3回公判[*3]において、青井硝子さんは本件裁判を、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイの宗教裁判になぞらえました。私たちが生活する地球が高速で自転しながら太陽の周りを公転していることは、科学的真実ですが、それを知覚することはできません 」

第三回公判で青井被告が「地面は星ですか?」と問うたことを受けている。

「分子は、物質の化学的性質を失わない範囲で、物質を分割しうる最小単位の粒子のことです。分子の大きさは直径1nm前後であり、人間の可視光の波長以下のサイズであることから、光学的な像として観察することはできません。しかし、ブラウン運動の原理から明らかなように、微粒子を不規則に動かしているのが分子であり、分子の実在は科学的な真実です。

さて、植物を小さくみじん切りにして粉末状にしました。これは植物の一部分です。その粉末をさらに細かく粉砕してコロイド粒子にしました。水の中で均一に分散して沈殿しません。これも植物の一部分です。小さくて軽い微粒子が沈殿する方向に働く重力より、ブラウン運動で不規則に動き、拡散する力が大きいためです。 微粒子がさらに物質の最小単位である分子レベルまで分解されました。一つの分子の大きさはコロイド粒子の十分の一から千分の一程度です。DMT分子が水に均一に溶解しました。たしかに目には見えなくなりましたが、実在しています」

次に、喜久山弁護士はジメチルトリプタミンの分子模型を右手で持ち、差し出した。指先から肘まであるぐらいの、大きな模型である。

丸善が販売しているHGS分子模型

「 ジメチルトリプタミン、別名、DMTという化合物の分子模型です。目に見えないからといって、この分子の存在を否定することはできません。この分子が植物由来のものであることも否定できません。 したがって、DMT分子が水分子と混ざって存在していたとしても、未だ植物の一部分に他なりません」

弁護人は分子模型を机の上に置いた。

「科学と真実に基づいて明快な無罪判決を下されることを求めます」

安永裁判長は顔を斜め下に向けたまま、じっと喜久山弁護士を睨み上げている。

アボガドロからアインシュタインへ、弁護人の弁論も裁判とは関係のない科学論になってしまったが、要点をまとめると、以下のようになるだろうか。

合成されたDMT分子、あるいは単離されたDMT分子は違法である。しかし、アカシア、チャクルーナなど、麻薬原料植物から除外されている植物の一部分に含まれているDMT分子は合法である。しかし、DMT分子が検出されたという鑑定結果だけからは、それが植物に由来するのか、合成されたものなのかは区別できない。これは、麻薬および向精神薬取締法が内包している矛盾でもある[*4]

書記官が立ち上がり、検察官と裁判官の目の前に置かれたソウシジュのサラダボウルを回収して回った。

書記官が、裁判長の目の前に置いてあったサラダボウルに手を伸ばしたとき、喜久山弁護士が安永裁判長に声をかけた。

「記念にお渡ししますよ」

「いやいやいやいや・・・」裁判長は苦笑しながら首を左右に振った。

書記官がソウシジュのボウルを重ねて、弁護人の席に戻した。

安永裁判長が被告人に「青井さん」と呼びかけ、証言台に移動するように促した。

青井被告は立ち上がって証言台に移動し、着席した。

裁判長が度重なる延期について釈明した。

「諸般の事情でご迷惑をおかけしている。今、あらためて、前回に加えて、何か言っておきたいことはありますか」

再度の発言の機会は想定外だったらしく、彼は当惑しているように見えた。

数秒の間を置いて、青井被告が話しはじめた。

「えー・・・仕事を増やしてしまって申し訳ありません」

青井被告は初公判から一貫して罪状を否認している。薬物所持には被害者がいない。申し訳ないと謝っている相手は誰なのだろうか。あるいは、違法求刑というミスで余計に仕事を増やしてしまった検察官の労をねぎらっているのかもしれない。

「今日は、同志社の学生さんの教材になれたことに感謝します。卒業後、社会の基礎を作っていく皆さんたちが、サイケデリックスがどのように社会を成り立たせていくのか。サイケデリックスが社会の一部族として機能していく政策を作っていっていただけるのが本望です」

こんどは、実習のために傍聴に来ていた法学生たちに、サイケデリックスの将来を託すという。これまた青井被告の突飛な未来像である。

「規制の背景には戦いがあります。資本主義、帝国主義植民地主義。過去に戦争があったのは理解しています。しかし、今、法を枉げてまでその戦いのための差別構造を持ち出してくる必要はあるんでしょうか。こうして・・・うーん・・・」

彼は言葉につまり、腕を組んだ。

「差別と偏見が、立法にも司法にもはびこっているように見えます。いま一度、そのへんを考えて、国家公務員として、国、つまり私たち一人ひとりの益になるような判決をお願いします。切に願っています」

まだ話をする時間はあったようだが、言いたいことは前回の結審でひととおり話したのだろう。青井被告は証言台から弁護人席に戻った。

判決言い渡しの期日の打ち合わせが行われた。裁判長は、判決の言い渡しには一時間半必要だと言ったが、一つしかない大法廷のスケジュールを合わせるのは難しい。被告人と弁護人は携帯電話で外部の誰かと連絡を取りあっていた。

判決は夏休みを挟んで、9月26日の午後1時20分から、2時50分と決まった。判決の言い渡しに一時間半も必要だというのは、なにか、求刑とはまったく違う判決を言い渡した後、その理由を詳細に読み上げるのが必要な場合だという。

時間はまだ2時前で、やり直しの結審は1時間もかからずに、あっけなく終わった。

一同が起立し、一礼した。被告人、弁護人、傍聴人たちが再び頭を上げる前に、立川検事は書類を大きな風呂敷に包み、足早に法廷から立ち去った。



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  • CE2022/07/11 JST 作成
  • CE2022/09/25 JST 最終更新

蛭川立

*1:陶芸家の大藪龍二郎氏が大麻取締法違反で起訴され、前橋地方裁判所で争われている裁判。長吉秀夫「大藪大麻裁判リポート」に傍聴記録がまとめられている。

*2:アインシュタイン特殊相対性理論を提唱した「運動物体の電気力学について」を発表したのが1905年である。

*3:第三回公判

*4:大麻取締法にも、同類の矛盾がある。合成されたTHCは麻向法で規制されており、大麻草の茎と種子以外に由来するTHC大麻取締法で規制されているが、THC分子が検出されたという鑑定結果だけでは、合成されたものか植物由来のものかは区別できない。THC大麻草の茎や種子、あるいは麻薬原料植物以外の植物にも含まれているからである。