DMTea Ceremony Case

アヤワスカ茶が争われている最初の裁判

日本の地理と歴史

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日本の地図

北緯35度線、東経135度線を追うと、その交わるところに、日本標準時UTC+9)の基準となる明石市を発見できる。日本標準時とブラジリア標準時(UTC+3)の時差は、ちょうど12時間あり、明石の対蹠点、南緯35度、西経45度の交わるところは、リオグランヂ・ド・スル、ポルト・アレグレの近海に存在する。

古代より明石は海運の要衝であり、ブラジルに渡った日系人の多くは、明石の東にある、神戸港から船出した。船出を待つ日本人たちが滞在していた建物は、神戸港を見下ろす丘の上に建っており、今では日本・ブラジル協会の本部となっている。

起源神話が伝えるところによると、日本の国は、明石の対岸にある淡路島から始まったという。歴史上の記録によると、統一国家としての日本の政治的センターは、6世紀までに奈良に出現し、その後、首都は8世紀に京都に遷都し、19世紀に東京に遷都した。被告人が生まれた伊勢は、第二次大戦まで、日本の国教であった神道の祭祀上のセンターであった。

現在、日本の政治的、経済的、文化的センターは東京にあるが、これから語られる物語は、東京遷都以前の古都、京都から始まる。

あなたは、東経135度線と、北緯35度線の交わるところに、日本を見つけることができる。

この交点にある明石市天文台日本標準時の基準である。それはブラジリア標準時と12時間の時差がある。その対蹠点、つまり西経45度、南緯35度の交わる点は、リオグランヂ・ド・スル、ポルト・アレグレの沖合に存在する。

古代より明石は海運の要衝であり、ブラジルに渡った日系人の多くは、明石に隣接する、神戸から船出した。船出を待つ日本人たちが滞在していた建物は、神戸港を見下ろす丘の上に建っており、今では日本・ブラジル協会の本部が置かれている。

起源神話が伝えるところによると、日本の国は、明石の対岸にある淡路島から始まったという。歴史上の記録によると、統一国家としての日本の政治的センターは、6世紀までに奈良に出現し、その後、8世紀に、京都に都が築かれた。19世紀に東京に遷都するまで、京都は日本の首都でありつづけた。そこは、今でも文化的なセンターである。

京都アヤワスカ茶会裁判の争点

0、尿中のDMT ー茶に由来するかー

青井被告の尿検査

  • 2020年2月26日に催された茶会で、青井被告は、ミモザの茶をモクロベミドと共に服用したと供述している。
  • 2020年3月3日、青井被告が逮捕されたときに、青井被告の尿が採取された。分析の結果、尿中にDMTが検出された。
  • 2020年5月18日、青井被告の拘留中に、青井被告の尿が採取された。分析の結果、尿中にはDMTは検出されなかった。
  • 2020年6月19日、青井被告が再逮捕されたときに、青井被告の尿が採取された。分析の結果、尿中にはDMTは検出されなかった。

検察側の主張

  • 3月3日に採取された尿からDMTが検出されたことは、青井被告が2月26日の茶会でミモザ茶を施用した証拠である。
  • 5月18日と6月19日に採取された尿中にDMTが検出されなかったことは、拘留中にはアカシア茶やミモザ茶を施用していなかったから当然である。
  • ゆえに、3月3日にDMTが検出されたのは、2月26日に飲んだミモザ茶に由来するという推察することができる。

弁護側の反論

  • 人間の体内では内因性DMTが生合成されており、その一部は代謝されずに尿中に排泄される。
    • 合成・排泄される内因性DMTの量は大きく変動する。
      • 排泄される内因性DMTの量には、日内変動があるかもしれない。朝に多く、夜に少なくなる、という研究もあるが、はっきりしない。
  • 人間がDMTを経口摂取すれば、すぐに分解されて、インドールー3ー酢酸などに変わる。DMTをRIMA(可逆性モノアミン酸化酵素A阻害薬)であるモクロベミドと共に服用しても、代謝されずに尿中に排泄される量は、6〜12時間以内に、内因性DMTに由来するDMTと区別がつかなくなる。
  • ゆえに、ミモザ茶を服用した6日後に採取された尿中にDMTが検出されたとしても、青井被告がミモザ茶を服用した物的証拠にはならない。

検察側の反論

  • もし人間の体内でDMTが合成されるのなら、体外からDMTを摂取する必要がないはずである。

青井被告の反論

  • 人間が十分な量のDMTを生合成するためには、長期にわたる瞑想修行が必要である。
  • 現在苦しんでいる人たちには、長期にわたる瞑想修行を行う余裕がない。ゆえに、体外からDMTを摂取する必要がある。

1、麻薬の定義 ー茶は麻薬かー

検察側の主張

  • ミモザ茶は、ミモザに含まれる麻薬であるDMTを水によって抽出したものであり、それは麻薬である。
  • 青井被告は、DMTの薬効を享受するために茶を製造しており、これは過失ではなく、故意である。

弁護側の反論

2、罪刑法定主義 ー薬草協会の茶をだけを取り締まれるかー

弁護側の主張

  • DMTは多くの植物に含まれている。
  • DMTを水に溶かしたものが流通し、服用されている。
    • DMTを含むミカン属のミカンやレモンを水に溶かしたものは、ジュースとして広く流通しているのに、麻薬として取り締まられていない。
    • DMTを含むアヤワスカ茶は、ブラジルに由来する宗教団体で使用されているのに、麻薬として取り締まられていない。
  • 青井被告が製造したアカシア茶やミモザ茶だけを取り締まるのであれば、その理由を示すべきである。
  • もし、理由がないのに、青井被告が製造した茶だけを取り締まるのであれば、憲法が定める罪刑法定主義の、明確性の原則に反し、違憲である。

検察側の反論

    • オレンジジュースは広く流通しているかもしれないが、ほとんどの人は、そこにDMTの薬効を求めていないから、それは麻薬とはいえない。

弁護側の反論

  • DMTを含むヤマハギを水に溶かしたハギ茶は、日本では伝統的に服用されており、ノイローゼや婦人病に効果がある薬として、薬効を享受するために使用されてきたのに、麻薬として取り締まられていない。

3、正当行為 ー茶会は真摯な宗教行為かー

弁護側の主張

以上、0〜3の争点に関して、2020年3月の時点で、検察側からは明確な反論が行われていない。とくに1〜3については、2020年6月に行われた初公判で、弁護人が主張してから、9ヶ月が経っている。


著者の考察

著者は、この事件を、学術的に公正な立場から考察したいと考えている。しかし、検察官が青井被告を起訴した理由には誤りが多いと考えざるをえない。また、弁護側の主張のほとんどに対して、検察側が論理的な反論をしていないのは、実質上、弁護側の主張の大半を認めている、つまり、検察側は、自らの主張が誤りであると認めているに等しいと考えざるをえない。

これは、私の推理であり、被告人や弁護人の主張とは、必ずしも同じではない。

尿中DMTについて

  • 検察官は、DMTを、覚醒剤であるメタンフェタミンと同様の物質だと誤解していたのではないか。
    • 日本で乱用される規制薬物の多くが、メタンフェタミンである。
    • メタンフェタミンは、服用後、10日ぐらいは、尿中に排泄される。
    • 検察官は、人体の内部でDMTが合成されることを知らなかったのではないか。

麻薬の定義について

  • 茶を麻薬として規制するかどうかは、法律によって定められるべきである。
    • 日本の麻薬及び向精神薬取締法では、麻薬原料植物以外の植物は、規制されていない。
    • 日本の麻薬及び向精神薬取締法では、麻薬原料植物以外の植物から作られた茶については、言及されていない。
      • このような茶についての判例は存在しない。
    • 国内法は、国際条約やその解釈よりも厳しい規制が可能である。
  • ゆえに、茶が合法かどうかについては、裁判官が判断することであろう。

罪刑法定主義について

  • 弁護側の主張の通り、青井被告の茶だけが規制される理由はない。

正当行為について

  • 青井被告の茶会が、真摯な宗教行為であるかの判断は難しい。
  • 南米の先住民族やブラジル由来の宗教運動において、アヤワスカ茶は、もっぱら宗教儀礼の中で用いられてきた。青井被告の茶会が、この文化、あるいは仏教思想に基づいて行われたのであれば、宗教行為だといえる。
    • とくにブラジルでは、アヤワスカ茶は認可された宗教団体の施設内で使用する場合のみ合法化されている。ただし、日本にはそのような法律も判例もない。
  • アヤワスカ茶が精神疾患を改善するとしても、青井被告は医師等ではないので、治療行為は正当行為ではない。
    • ただし、その治療行為の背景に宗教的な思想があれば、宗教行為だといえる。



CE2021/03/15 JST 作成
CE2021/07/03 JST 最終更新
蛭川立

南方録 ー回想ー  

「私は旅や探検家が嫌いだ。それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている」[*1]ーよく知られた『悲しき熱帯』の冒頭部分だが、私も同感である。

アマゾンのジャングルの原住民が、地上最強の幻覚植物を飲んで呪術戦を繰り広げているだとか、そういう話で人を面白がらせたいとは思わない。

この小論は裁判記録である。だから私はここで、自分が何者であるのかについて、必要最低限しか書かない[*2]

ペルー

私は日本の京都大学で生物学を、東京大学で人類学を学んだ後、2000年に、ペルー・アマゾンのプカルパ市にある、ウスコ・アヤール絵画学校に住み込み、元クランデロのメスティソ画家、パブロ・アマリンゴに師事し、アクリル画を学んだ。

さらに、2001年にかけて、プカルパ市の郊外に作られた、先住民シピボのサンフランシスコ村にに向かい、クランデラ、ウナヤ・フスティナの息子となり、シピボのコスモロジーを学んだ。アヤワスカという薬草茶が見せてくれた精霊の世界に深く魅せられた。

ブラジル

2004年には、ブラジル南部、パラナ州クリチバのベゼッハ・ヂ・メネゼス大学で客員研究員として過ごした。私を招聘してくれたのは、実験超心理学研究室のファビオ・エドワルド・ダ・シルバと、心理生物物理学研究所の日系人、ヘジナルド・ヒラオカだった。パラナ州には日系人が多く、神戸港から日系人たちを送り出した兵庫県は、パラナ州と姉妹県協定を結んでいる。

クリチバ滞在中には、大学の同僚であった、シベーリ・ピラトーと、ヘジナルド・ヒラオカに誘われて、郊外の森の中に建てられた、サント・ダイミ教会(セバスチャン折衷派[*3])のパラナ分教会に通った。礼拝は、月に二回、新月の晩と、満月の晩に行われていた。ウンバンダやカンドンブレの儀礼、先住民グアラニのマテ茶会にも足を伸ばした。

UDVの門も二度叩いたが、二度断られた。UDVは規律正しい組織で、見学に行きたいという理由では参加させてもらえなかった。

セバスチャン折衷派のダイミスタたちはオープンだった。会員になる必要はなかったが、最初に礼拝に参加するときには、書類にサインする必要があった。キリスト教徒である必要はないが、信仰する宗教を書く必要があった。私は特定の宗教を信じていないが、じつは、大半の日本人もそうである。だから少し迷ったが、その欄には「Zen」と書いた。日本人だから禅仏教と書けば、理解されやすい。しかし実際、私は禅仏教や、京都学派の哲学に関心を寄せていた。礼拝に参加する目的の欄には「自己を観ること」と記入した。

じっさい、ブラジルの都市のダイミスタたちの間では、礼拝の目的が、キリスト教への信仰に加えて、自己を観るという方向に向かっていた。仏教やインド哲学への関心が広がっていた。パラナ州の分教会は、ハレ・クリシュナと習合していた。礼拝中の聖歌が、ポルトガル語から、急にサンスクリットに変わったりするのにも驚いたものである。

ブラジルでは、アヤワスカ茶は、政府に認可された宗教法人の、教会の建物の内部でのみ、合法的に使用できると定められていた。一度だけ、礼拝の途中で吐き気に耐えられなくなり、白いスーツを着た係員に抱えられながら、屋外にあるトイレに連れて行ってもらった。その時に見上げた星空に、無限を見た。ブラジル滞在中で、もっとも畏怖すべき体験だった。パスカルが『パンセ』に書きたかったのは、これだったのかもしれない。

帰国してから、私は東京の明治大学に新設された新学部に赴任し、人類学を教えている。



CE2021/03/15 JST 作成
CE2021/03/16 JST 最終更新
蛭川立

*1:Je hais les voyages et les explorateurs. Et voici que je m'apprête à raconter mes expéditions. レヴィ=ストロース川田順三(訳)『悲しき熱帯(Ⅰ)』中央公論社, 4. I hate travelling and explorers. Yet here I am proposing to tell the stories of my expeditions. 1973, John & Doreen Weightman (trans.), Tristes Tropiques, 2011

*2:詳細、とくにペルーでの体験は、拙著『彼岸の時間』

彼岸の時間―“意識”の人類学

彼岸の時間―“意識”の人類学

  • 作者:蛭川 立
  • 発売日: 2009/05/20
  • メディア: 単行本
と『精神の星座』
精神の星座 (内宇宙飛行士の迷走録)

精神の星座 (内宇宙飛行士の迷走録)

  • 作者:蛭川立
  • 発売日: 2011/07/23
  • メディア: 単行本
を参照されたい。ブラジルでの体験は、これらの著書には、詳しく書かなかったので、ここで補っておく。

*3:Centro Eclético da Fluente Luz Universal Raimundo Irineu Serra (CEFLURIS)

DMT ー ありふれた構造の特異な物質 ー

動物の体内と植物の体内で同じ物質が生合成される

DMTはセロトニンと構造が類似しているインドールアルカロイドであり、5-HT受容体に作用する、ドーパミンノルアドレナリンが類似しているように、ありふれた構造の神経伝達物質である。

しかし、動物の体内と植物の体内で同じ物質が生合成されるという点では特異である。

動物の体内で生合成されるDMTは神経伝達物質として機能するが、代謝産物として尿中に排泄されるインドール-3-酢酸は、植物の成長ホルモンとして機能する。いっぽう、植物の体内で生合成されるDMTは、たとえばミカンの葉に含まれ、捕食者である昆虫に対し、忌避作用を持つ。また、果実に含まれる種子は、捕食者である動物の体内に入り、栄養分となる排泄物とともに散布される。ここで、動物は、植物の「延長された表現型」である。もし果実に含まれるDMTが、捕食者である動物にとって、なんらかの報酬になるなら、これも植物と動物の共進化なのかもしれない。

グルタミン酸神経伝達物質としても機能するが、これは、さらにありふれたアミノ酸である。

DMTは神経伝達物質であると同時に、精神展開薬でもあるという点でも、特異な物質である。低酸素状態ではシグマ-1受容体に作用し、臨死体験のような、超越的な神秘体験を引き起こす。

外因性の物質と内因性の物質が同じである

植物に含まれる物質が向精神作用を持ち、後から、その物質が作用する受容体が発見され、さらに、脳内にも同じ受容体に作用する物質が発見される。このこと自体は、科学史の中で、繰り返されてきた。

たとえば、ケシに含まれるモルヒネ受容体に作用する神経伝達物質が脳内でも発見され、内因性モルヒネ、エンドルフィンと名づけられた。しかし、エンドルフィンとモルヒネは、まったく分子構造が違う。

同様に、大麻に含まれるカンナビノイド受容体に作用する神経伝達物質も発見され、アナンダミドと名づけられた。しかし、アナンダミドカンナビノイドも、まったく分子構造が違う。

ただし、2014年には、黒トリュフの胞子体でアナンダミドが生合成されていることが明らかになった。しかしその機能は不明で、イノシシなどの捕食者に対し、副交感神経を興奮させて気分をリラックスさせる、食欲増加などの報酬を与えている可能性がある。

DMTは、アマゾンのチャクルーナだけではなく、アカシア、ミモザ、ミカン、ヤマハギなど、多くの植物に含まれており、5-HT受容体に作用する。5-HT受容体に作用する神経伝達物質セロトニンであるが、DMT自体もまた、5-HT受容体に作用する、内因性の神経伝達物質である。

特異な変性意識状態を引き起こす

DMTは典型的な精神展開薬(major psychedelics)であり、瞑想体験に近い変性意識状態を引き起こす。また、低酸素状態で脳を保護するときに分泌され、臨死体験を引き起こすと考えられている。カンナビノイドやアナンダミドも精神展開薬に似た作用を引き起こす物質(minor psychedelics)であるが、DMTほど強い作用は引き起こさない。

「脳内麻薬」は「麻薬」の「所持」か?

DMTは麻薬として規制されているが、ヒトの体内でも生合成されているから、これは「麻薬」を「製造」し「所持」することなのだろうか。ここで、神経伝達物質と同様の作用を持つ物質を所持することが犯罪とされる法体系の自己言及的な矛盾が起こってしまう。

たとえば、覚醒剤メタンフェタミンは、規制薬物であるが、人工的に合成されるものである。体外から摂取しないかぎり、体内には存在しない。尿からメタアンフェタミンが検出されれば、その人物がメタアンフェタミンを施用したことがわかる。しかし、尿からDMTが検出されても、体外から摂取したのかどうかは判断できない。ヒトの体内では内因性DMTが生合成されているからである。

また、コカインはコカという植物から抽出される規制薬物であるが、コカインを含む植物であるコカも、日本の法律では、麻薬原料植物として規制されている。しかし、コカインはヒトの体内では生合成されない。

ところが、DMTは違法薬物だが、一般的に食用とされるミカンなど、多くの植物がDMTを含有しているにもかかわらず、それらの植物は、日本の法律では、麻薬原料植物としては規制されていない。合法的な植物と、違法なDMTの中間的な形態である茶が規制対象かどうかは、日本の麻薬及び向精神薬取締法には、明文化されていない。明文化されていないということは、合法と解釈されるのだろうか。

また、アナンダミドやグルタミン酸神経伝達物質ではあるが、麻薬として規制されていない。つまりDMTは麻薬として規制されている神経伝達物質であるという点で、特異な物質だといえる。



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CE2021/04/02 JST 作成
CE2021/09/30 JST 最終更新
蛭川立

茶禅一味 ー第二回公判・第四回公判ー

2020年7月に行われた第2回公判では、以下のような問答が交わされた。

検察官は主張した。「2020年3月3日の逮捕時には、被告人の尿中にDMTが検出されたが、5月と6月の尿中には、DMTは検出されなかった。これは、被告人が2月26日にDMTを含有する茶を施用した物的証拠として、整合性がある」

弁護人は反論した。「体外から摂取されたDMTは、MAOIと併用しても、急速に代謝される。およそ12時間以内には、尿中に排泄されるDMTの濃度は、内因性DMTの濃度の変動範囲と区別できなくなる。かりに2月26日に茶を施用したという被告人の供述が事実であったとしても、6日後に被告人の尿からDMTが検出されたことは、被告人が茶会で茶を施用したことの物的証拠にはならない」

刑事裁判における弁護人の反論というのは、ときに詭弁のような主張になる。しかし、裁判というのは、あくまでも、供述よりも、物的証拠のほうを重視する。

日本における薬物犯罪の多くが覚醒剤メタンフェタミンの濫用である。メタンフェタミンは体内では生合成されないし、体内に取り入れてから一週間程度は、検出可能な濃度で、尿中に排泄される。だから、京都府警は、薬物=覚醒剤=一週間ぐらいで逮捕して証拠を押さえる、という、公式どおりに行動したのではないかと、私は推測している。

青井被告は、検察官の指摘に対して、以下のように反論した。

私が、2020年2月26日に、友人宅で、ミモザ・テヌイフローラのお茶を飲んだことは、認めます。
 
しかし、これまでの主張のとおり、お茶が「麻薬であるDMTを含有する水溶液」であるという点は、争います。
 
このとき私が飲んだお茶の中に、本当にDMTが含まれていたかどうかは、わかりません。ふつう、お茶にDMTが含まれているかどうかは、DMT酔いを感じることによってしか、わかりません。
 
そして、私は訓練によって、お茶を飲まなくても脳内でDMTを合成し、酔うことができるようになりました。だから、お茶にDMTが含まれていたかと問われても、よくわからない、と言うほかありません。

接見のとき、青井被告は「松果体レーニング」という瞑想法によって、自力で内因性DMTを生合成できるようになった、と言っていた。たとえDMTの作用を感じたとしても、茶に由来する外因性DMTの作用と、瞑想に由来する内因性DMTの作用は、同じDMTの作用である以上、区別できない。

つまり、これが「茶禅一味」である。

検察官が苛立っているのがわかった。

彼は、内因性DMTとは何であるのかが理解できないのか、あるいは、国家公務員が脳内に麻薬等を所持等していた場合の懲戒処分は、免職である[*1]ことを知って、それを恐れていたのかもしれない。

脳の中でDMTを生合成したことがない者が、まず被告人に石を投げればよい[*2]



さらに、10月に行われた第4回公判では、以下のような問答が交わされた。

検察官は主張した。「もしDMTを体内で合成できるなら、わざわざ茶を点てて、体外から摂取する必要はないはずだ」

青井被告は、検察官の指摘に対して、以下のように反論した。

この意見は、瞑想や長年の禅の修行によって得られる境地こそが本物であり、サイケデリックスで簡単に行ける世界は偽物であるという議論に、よく似ています。
 
DMTは、低酸素状態で脳が瀕死の状態になったときに、脳細胞を保護し、生命機能を維持するために、大量に分泌されます。それが臨死体験として体験されます。つまり、自力で大量のDMTを生合成するためには、自らの身体にも精神にも、大変な負荷をかけなければならないということです。
 
さらに、禅や瞑想の過程で、禅病や魔境、スピリチュアル・エマージェンシー、つまり霊的危機状態と呼ばれる事故が起こる危険性については、宗教者たちによって、繰り返し注意喚起されてきました。修行の途上においては、身体的変調、幻覚やせん妄、非論理的思考のような精神的変調に陥ることが、よくあるのです。
 
お茶を飲むことは、何十年も瞑想や禅の修行を続けてきた人と同じ境地を、二時間だけ経験し、通常どおりの意識に戻ることを可能にします。その後の社会生活にもまったく支障をきたしません。
 
もちろん、瞑想や長年の禅の修行のほうが、より深い境地にたどりつけるのかもしれませんし、そのような実践を行ってきた先達のことを尊敬しています。
 
しかし、今まさに、精神的に悩み苦しんでいる人たちにとって、これから何十年も修行を積むような余裕はありません。
 
私は、安全性に配慮しながらお茶を飲み、サイケデリック体験を得られるような文化を醸成することが人々の役に立つという信念のもとに、活動してきました。

インドで始まった上座仏教は、迷いから解脱するためには、自らが瞑想をしなければならないという、自力、難行の教えである。これは正論である。しかし、煩悩に迷える多くの凡夫にとって、そのような瞑想修行は、ほとんど不可能である。

その後、大乗仏教という宗教改革が起こった。大乗仏教は、他力、易行の教えを発展させ、上座仏教を「小乗仏教」と呼んで、批判した。「小乗(Hīnayāna)」とは、少数の人しか救うことができない「小さな乗り物」という意味であり、「大乗(Mahāyāna)」とは、多数の人を救うことができる「大きな乗り物」という意味である。

初公判で青井被告は、自らの活動を「菩薩」にたとえた。菩薩とは、大乗仏教の概念で、すでに迷いから解脱できるのにもかかわらず、あえて現世にとどまり、迷える人々が解脱するのを助ける存在のことである。

つまり茶人とは菩薩であり、茶会とは菩薩行なのである。



CE2021/04/03 JST 作成
CE2021/04/04 JST 最終更新
蛭川立

*1:懲戒処分の指針について(平成12年3月31日職職―68)(人事院事務総長発)」『人事院

*2:これは「ヨハネによる福音書」8章7節の語句を、比喩として用いたものであり、聖書の言葉を意図的に歪曲したものではない。ギリシア語原文は「Nestle-Aland Novum Testamentum GraeceNovum Testamentum Graece: Nestle Aland 28th Revised Ed. of the Greek New Testament, Standard Edition」を参照した。

第一回接見(改訂版)

青井被告は、初公判で、自らの行いをボーディサットヴァだと供述した。日本の法廷でサンスクリットを使い罪状を否認するとは、かつてのオウム真理教麻原彰晃こと松本智津夫を思い起こさせた。

この人物は、いったい何者か。初公判の後、青井被告は再逮捕され、京都の郊外にある留置所に戻っていた。私は、喜久山弁護士を介して、留置所に接見の希望を伝えた。

喜久山弁護士は、割り当てられた国選弁護人であり、薬物事件が専門ではない。青井被告は、この初対面の弁護人に対し、開口一番「アカシア・コンフサとミモザ・テヌイフローラのお茶は麻薬及び向精神薬取締法の別表一のロによって麻薬から除外されている麻薬原料植物以外の植物の一部分です」と朗唱したという。多くの刑事事件を担当してきた喜久山弁護士にとっても、このように法律の条文を正確に暗唱する被告は初めてだった。これは本当の意味での確信犯だ、と確信したという。

どうやら、正義感あふれる若い女性の検事が、勇み足で、インターネットを悪用して覚醒剤を売買する新種の組織犯罪を摘発したと勘違いした、というのが事件の実態のようだ。

「4ヶ月も拘留されるとは、懲役刑ではあるまいし。人権侵害です。検事のほうを訴える必要がありますね。若さゆえの過ちでした、と言わせて更生させなければ」

「検事さんをゆるしてあげてください。彼女は自分が何をしているのか、わかっていないんです。ただ職務に忠実だっただけです(Forgive the prosecutor, for she knows not what she do., Perdoe a promotor. Ela não sabe o que faz.[*1]

「十字架にかけられる覚悟ですか」
「さすがに死刑はありえないっす」

PCのモニタの中にいる青年は、人類の罪を贖う救世主なのか。それとも人をからかって楽しんでいるだけの愉快犯なのか。

「なぜ冤罪を起こした検事を弁護するのですか」
「検事さんとは、因縁の姉弟対決というか、なんというか、自分、『姉み』に弱いんです」
「姉み?調書を読んだかぎりでは、検事のほうが年下では」
「検事さんは、自分の『永遠の姉』なんです」



私は第二回公判の後で、ふたたび青井被告の婚約者と会った。

「『ゆるしてあげてください』云々は、イエスが十字架にかけられるときの決めぜりふですよ」
「ほな私はマグダラのマリアか?あの検事の女[*2]!」

三歳年上の婚約者は、妬みと怒りの入り交じった大阪弁で怒鳴った。

彼女はむしろ、ハディージャだ。青井さんは神の子などではない。ただの、普通の人間だ。私も普通の人間だから、彼が神の言葉を預かったかどうかなど知らない。しかし、たとえ彼が神の言葉を預かったとしても、それは、ただ預かっただけで、彼は、ただの人間なのだ。


最高裁まで争う覚悟はできています」
最高裁?」
「お茶(O Chá)は違法ではありません。憲法十三条の幸福追求権にてらして違憲です」
「そんなことをしたら、何十年かかるか。裁判費用も馬鹿にならない」
「自分が逮捕されて有名になったので、おかげさまで『雑草で酔う』が増刷されました。いまパート2で、仮題、獄中で酔う、という本を書いています。それからパート3、完結編、勝訴に酔う、を書きます。三部作で売り込んでベストセラーにします。自分の推計では印税は1500万円プラスマイナス300万円ですから裁判三回分稼げます」

これは悪い冗談(sacanagem)か?

事前に調書に目を通しておいた。容疑者の言動には理解不能な部分が多いが、首尾一貫性があり、精神鑑定の必要なない、と書かれていた。

「自分は、最後まで争う決意を固めました。争うといっても、悪いことを正当化しようとしたり言い逃れしたりするつもりはありません。『法律を解釈する』という知的なスポーツに興じる、という意味です」
「スポーツ?」
「日ごろ励まし、支えてくださる全ての方に感謝するとともに、先人の方々、運営スタッフ、 そして出場全選手に敬意を払い、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々、プレーすることを誓います!」

裁判というものを馬鹿にしている。

「自分、無敵です!」
「なぜですか?」
「失うものが何もないからです」[*3]

彼の阿呆さ加減が、「本来無一物」と喝破した伝説の禅の六祖、慧能の姿と重なった。



失うものが何もないとは、しかし、ご家族はどうお考えなのか。

第二回公判の後で、傍聴に来ていた、青井被告の父親に会った。意志のしっかりした表情をした、初老の男性だった。彼は、市役所の職員をしていたが、いまは退職したという。市役所では、同僚たちが、つぎつぎとうつ病で倒れていったという。

「どうしてこんないい人が、という人が、うつ病になるんです」
「いえ、うつ病というのは、いい人がなる病気なんです。責任感の強い人にかぎって、重荷に耐えられなくなってしまうんです」
うつ病は薬で治せるといいますが、今の抗うつ薬で治る人は70%しかいません。あとの30%は治らないんです」
「そうですね。治療抵抗性うつ病といいますね」
「でも、息子は、雑草の中から、残りの30%を治す薬を発見したんです」

彼は私の目をじっと見つめた。

「私は、息子を誇りに思います」

私は驚いた。彼は、大うつ病の30%が従来の抗うつ薬に反応しない、治療抵抗性うつ病だという数字まで、正確に知っていた。DMTやケタミンのような精神展開薬が治療抵抗性うつ病に奏効するというのは、青井被告の発見ではない。しかし、彼は、きっと、息子のことを理解しようとして、勉強したのだろう。エディプス・コンプレックスの不在。息子を誇りに思うと言いきれる父親に、敬意を抱いた。



第四回公判の前に、法廷の入り口で列に並びながら、青井被告と話をしていた。その横に知的な雰囲気の女性があらわれ、私に話しかけてきた。青井被告の母親だという。

法廷での供述のために、青井被告は、着慣れないスーツを着ていたが、青いネクタイが曲がっていた。この世話好きそうな女性は、手を伸ばして彼のネクタイをまっすぐに直しながら、私に挨拶をした。どうやら、私が法廷で青井被告を弁護している大学教授だと聞いていたらしい。

「お母さん、こんなことになってしまって、本当に心配されたでしょう」
「ええ、私も最初は食べものが喉を通らなくて、なんだか、体脂肪が落ちて、スリムになってしまいました」
「これは警察の間違いです。きっと暴力団か何かと勘違いされただけです。大丈夫ですよ。しかし、ここまで頑張るとは、立派な息子さんですね」
「この子はね、もう小学生のころから、育てたトマトにピップエレキバンを貼ると甘くなるとか、けったいなことばかりしてましてね、何回失敗してもね、絶対に甘くなるんや言うてね、ほんま、そんな実験ばっかり。頑固な子やねえ」
「その探究心が、うつ病を治す薬草を発見したんですね」
「ほんま、ポジティブ、ポジティブ。この子はポジティブなだけが取り柄なんですよ」

お母様は、息子の顔を見て、微笑んだ。そして私に向かって、頭を下げた。

「せんせ、この子を、どうかよろしくお願いします」

母親の心の中では、息子というものは、永遠の少年のままなのだ。

*1:ルカによる福音書」(23章34節)とよく似た言葉だが、青井被告は、そのことを知らなかった。

*2:『カム・バック・検事の女』からの引用かと思われる。

*3:この論理は「無敵の人」(ニコニコ大百科)という概念に由来しているが、好き勝手に悪いことをしてもいいという意味では使われていない。

看脚下 ー第三回公判ー

弁護人の意見陳述

2020年9月7日に行われた第三回公判では、弁護人が検察側に対し、矢継ぎ早に意見陳述を行うという、今までにない展開となった。

茶は麻薬として規制されてこなかった

「本件は、DMTを含有する天然植物から煮出した飲料であるアヤワスカ及び、アヤワスカ・アナログを日本で初めて取締対象とした事例である」

喜久山弁護士は、過去にもアヤワスカやDMTを含む植物や茶の存在が知られてきたにもかかわらず、規制されてこなかった事例を列挙した。以下は喜久山弁護士の発言を著者が要約、補足したものである。

1、2006年6月16日、厚生労働省と東京都は、渋谷区で「違法ドラッグ(いわゆる脱法ドラッグ)」、つまり薬事法上の無承認無許可医薬品を販売していた業者に対して、立ち入り検査を行い、その破棄と販売中止を始動した。7月28日に厚生労働省医薬食品局監視指導・麻薬対策課は「違法ドラッグ(いわゆる脱法ドラッグ)を植物標本、お香等と称して輸入販売等を行っていた業者に対する立入検査等について」と題するページをアップした。違法ドラッグ( いわゆる脱法ドラッグ)の起源となっている植物として、「アヤワスカ関連植物」が挙げられている。

「違法ドラッグ」は「脱法ドラッグ」とも、「合法ドラッグ」とも呼ばれており、名称が混乱していた[*1]。2005年11月25日付で同省のホームページ上に公開された「脱法ドラッグ対策のあり方に関する検討会」に よれば、違法ドラッグ(いわゆる脱法ドラッグ)とは、「麻薬又は向精神薬には指定されておらず、それらと類似の有害性が疑われる物質であって、人に乱用させることを目的として販売等がされるもの」と定義されている。つまり、「アヤワスカ関連植物」は、麻薬又は向精神薬取締法では規制されていない、という見解である。

2、2008年10月1日未明に、大阪の繁華街で火災が起こり、ある男性が放火の疑いで逮捕された。その男性は前日、9月30日の昼間に奈良で行われたサント・ダイミの礼拝に参加していた。大阪府浪速警察署は、サント・ダイミの関係者からダ イミ茶を領置した。含有成分の検査も行われたはずだが、その後、麻薬所持としての捜査は行われていない。犯行にダイミ茶の影響があるといった事実認定は一切されず、逮捕された男性は、サント・ダイミとは無関係に、起訴され、裁判が進んだ。

厚生労働省は2008年10月27日に「いわゆるダイミ茶等について」と題するページを公表した。そこには、ダイミ茶の中に、麻薬として指定されているDMTが含まれていると書かれているが、しかし茶自体については「ダイミ茶はアヤワスカと呼ばれるものの一部です。ダイミ茶以外のアヤワスカの中にも、同様の作用を示すものがあるとされてい ますのでご注意下さい」としか書かれていない。つまり、DMT自体は麻薬として規制されているが、DMTを含有する茶は麻薬として規制されていない、という見解である。

「したがって、厚生労働省アヤワスカ及びアヤワスカ・アナログが麻薬ではないとの見解を有していたのである。しかし、厚生労働省がなぜ、いつ麻薬及び向精神薬取締法の法律解釈を改めることになったのかは公にされていない。たとえ現時点において、厚労省アヤワスカ・アナログを麻薬であると結論づけていたとしても、その解釈の変遷は、極めて恣意的かつ場当たり的といわざるを得ない」


ブラジル由来のアヤワスカ宗教

2008年に起こった火災事件のときには、テレビの報道番組が、私のところに取材に来た。アヤワスカ茶やブラジルの宗教運動の研究者としての意見を求められた。

1、サント・ダイミは、ブラジルで1930年代に始まったカトリック系の宗教運動であり、そこからUDV、バルキーニャ、ウンバンダイミなど、多数の団体が派生した。ブラジル政府は、これらの宗教団体の調査を行い、参加者のモラルは高く、反社会的組織や、反体制運動との関係もないため、1980年代に、宗教法人として公認された。とくに、サント・ダイミは、1990年代以降、都市部の知的な階層の間で広がっており[*2]、欧米などブラジル国外にも広がり、各国で法的な問題が起こっている。日本での活動の実態については、よく知られていない。

2、サント・ダイミが礼拝で使用する「ハーブティー」とは「ダイミ」茶のことであり、アマゾンの先住民族が宗教儀礼に用いてきた、アヤワスカ茶とも呼ばれる薬草茶である。アヤワスカ茶には、DMTなどの精神展開薬が含まれており、宗教体験を引き起こす。一時的に、日常的な時空の感覚が失われ、正常な判断力が失われる可能性があるが、その効果は、礼拝が終わるより前、3〜4時間程度で終わる。アルコールによって暴力をふるうような攻撃性が引き起こされるのとは逆に、むしろ穏やかで平和的な感覚になる。それゆえ、アヤワスカ茶を服用した翌日に、アヤワスカ茶の作用によって暴力犯罪が起こるとは考えにくい。

3、アヤワスカ茶は、うつ病など、神経症圏の精神疾患を改善するという研究があるが、統合失調症など、精神病圏の精神疾患を悪化させる可能性がある。しかし、アヤワスカ茶が精神疾患の原因にはならない。もし容疑者が心神喪失状態で放火に及んだのが事実だとした場合、彼は、アヤワスカ茶を服用する前から精神疾患に罹患していた可能性が高い。

私は、取材スタッフに対し、以上のように説明した。取材スタッフは、容疑者は現在、精神鑑定中であると答えた。その後、容疑者は心神喪失状態にはなく、正常な責任能力があるとして、裁判が進んだと聞いた。

日本では、1990年代から、サント・ダイミから派生したセバスチャン折衷派とウンバンダイミが活動しているらしい。UDVも活動しているという情報もある[*3]、が、これらの団体は、WEBサイト上などで情報を公開しておらず、正確な実態を知ることができない。日本にはサント・ダイミと、それらから派生した宗教団体には、いずれも統一組織がなく、独自の教会もない。大阪での火災事件のときも、今回の青井事件に関しても、公式のコメントは発表されていない。

逆に、自然崇拝と仏教を基本理念とする薬草協会もまた、ブラジル由来のキリスト教系宗教運動とは関係を持っていない。使用している薬草の種類も違う。薬草協会の茶は、植物と医薬品の組合せである。

日本では、サント・ダイミは会員制の団体ではない。「私はダイミスタだ」というのは、個人の心情の問題である。たとえば「私はキリスト教徒だ」というのと同じである。

ブラジルのサント・ダイミと関係のある個々人が、日本の各地で自発的に礼拝を行っており、こうした活動が、短期間で、生成消滅、離合集散を繰り返しているようである。これは、日本だけではなく、サント・ダイミ、とくにセバスチャン折衷派の特徴でもあり、さらには、ブラジルの宗教運動の特徴でもある。

日本で、アヤワスカ茶を用いるブラジル系宗教運動の全体像が知られていない理由をいくつか挙げることができる。

第一は、逆にいえば、何らかの事件によって取り締まられていないからである。その支持層は中産階級であり、反社会的な組織や、反体制的な運動と結びついていない。

第二の理由として、アヤワスカ系宗教は、学校を作ったり、病院と共同研究を行うなどの、社会的活動を行っていない。

第三の理由としては、日本では、他のキリスト教圏の国々と違って、教会の権威が弱い。それゆえ、アヤワスカ茶を用いる教会が異端視され、問題になったことがない。


追起訴と取調べの異常さ

喜久山弁護士の意見陳述が続いた。

「本件では、合計7件もの公訴提起が行われた。少なくとも(5)〜(7)事件については、量刑上何らか影響のある追起訴とは思われない。そのような追起訴を繰り返すこと自体が、裁判所に対して被告人の有罪心証を形成させ、悪感情を与える戦略とも考えられるが、本件がアヤワスカ・アナログに関する初めての事件であることから、検察官がどの程度の事実関係があればどの罪が成立するかを試行するための、実験的起訴を行っているとも見るべきである。

また、検察官は本年4月6日に(1)事件を起訴した後に、弁護人から指摘されるまで向精神薬条約についての国際麻薬統制委員会(INCB)見解を全く把握していなかった。

そこで、検察官は不当な追起訴を続けることによって弁護人主張に対する再反論を検討するための時間稼ぎを行っていると見ることもできる。追起訴を繰り返す検察官の思惑が、有罪心証の形成や、実験、時間稼ぎのいずれにあるにせよ、刑事訴訟は被告人の人権を著しく制約して行われるものであるから、公益の代表者たる検察官の職責に悖るような公訴提起及び訴訟追行は厳に慎まれるべきである。

また、被告人によれば、8月24日、京都地方検察庁において、取調べを受けている際、検察官から「次回公判で、どんな主張をするの?」「無罪になったらどうするの?」等の発問がなされたとのことである。

被告人は、弁護人立会いもない孤立状態で上記質問を受けており、このようなことは、弁護人との秘密交通権を侵害するのみならず、被告人の防御権を直接に侵害するおそれのある違法不当な行為である。

上記のような検察官の異常な対応は、本件が十分な捜査のもとに行われたものでないことを雄弁に物語っており、被告人に対して速やかに無罪判決を下すか公訴権濫用ゆえに本件訴訟手続きは即時に打ち切られるべきである」

公益の代表たる検察官は押し黙ったままである。

弁護士が詰問し、検察官が黙秘する。これは裁判のコペルニクス的転回か。

検察官に対する被告人の反論

検察官が、アヤワスカ・アナログ茶は麻薬であるDMTを抽出したものであって、植物の一部分ではない、と主張したことに対し、青井被告の反論が行われた。

検事さんは、アヤワスカ茶はDMTの水溶液であり、健全な社会常識に照らして明らかに麻薬であり、植物ではないといいます。

では、クジラは魚ですか?コウモリは鳥ですか?

被告人の的外れな発言は、法廷という場の空気から完全に浮かんだ。

温厚そうな裁判長が、失笑しながら、被告人をなだめた。

被告人は、陳述を止めなかった。逮捕されたのが3月3日。これだけのことを言うために、半年も待たされたのだといって、譲らなかった。

いつもはシャイでお茶目な彼が、今日こそはやったろやないか、と言わんばかりに、右腕を大きく振り上げた。こんなに雄弁な姿を、はじめて見た。

地面は星ですか?

いま立っている、この地面が高速で自転しているということは、私たちの五感では知覚できませんが、科学的事実です。

ここで問題になっているのは、「地球は平らで止まっている」という、主観的文化的な世界のとらえ方である、環世界、ウンベルト[*4]」 と、「地球は丸く、回転している」という、科学的客観的な世界のとらえ方である環境、ウムゲーブング[*5]」の区別です[*6]

私は裁判のことに疎い一般人ですが、それでも過去の判例をひとつ知っています。地動説を支持したガリレオ・ガリレイさんです[*7]

ガリレオさんは地動説を支持した自著の出版を反省したそうです。拷問のような調ベに耐えかねて自白したということもあったようです。検察側は、無期懲役を求刑しました。

十人の裁判官のうち、三人が、自白は証拠にならないという少数意見を述べたので、判決は、無期軟禁だったそうです。

ローマ法王ヨハネ・パウロ二世さんが、ガリレオさんが無罪だと謝罪したのは、それから三百年後でした。

今でも、私たちのほとんどは、宇宙から地球の丸さを、生で見たことがないと思います。しかし、地球は丸いということを知っている。 地球は平らだというウンベルトに反するのに、それが事実であることを知っている。これは、科学に携わる者の地道な努力が科学史を進めてきたからです。

今ここで、その努力を無視して裁くということは、三百年の科学の進歩を、無に帰してしまうことに等しいのです。

検察官は、そういう質問には答える必要はないと言った。それだけだった。

裁判長は、すこし心配そうな表情で、検察官の顔を覗き込んだ。

検察官が苛立っているのがわかった。

裁判長が閉廷を宣言した。


それでも地球は回る

青井被告と私は、裁判所を出た。

台風は通りすぎた。スコールが去って、太陽が戻ってきた。九月になっても、京都はまだ暑い。

二人は黙って歩いた。舗装道路は、照り返しが強い。

検察官は苛立っていた。しかし、私も苛立っていた。

いったい、この裁判はいつ終わるのか。私は裁判など初めてだ。弁護士に聞いても、こんな裁判は初めてだという。同じような事件の判例もない。

隣を歩いている青井被告のほうを見た。彼は、前を向いて、涼しい顔をして歩いている。彼は、こんなに暑くても平気らしい。

丸太町橋の階段から、鴨川に降りた。

川の向こうに、北山が見えた。

北から南に向かって、きらきら光る水が流れ、南から北に向かって、涼しい風が吹き抜けていく。

青井被告は、やはり、涼しい顔をしている。

彼は立ち止まった。

「足下を観てください」[*8]

私も立ち止まり、足下を観た。

足下には、地面があった。

「ほら、地面は動いているでしょう?」彼は、いたずらっぽく笑った。

足下には、地球があった。



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CE2020/09/08 JST 作成
CE2021/03/16 JST 最終更新
蛭川立

*1:2014年7月に、厚生労働省は「「脱法ドラッグ」に代わる新呼称名を選定しました」と題するページを公表し、「危険ドラッグ」という呼称に統一するとの見解を示した。

*2:中牧弘允(1992)「茶を飲まずんば幻覚をえずーブ ラジルにおける幻覚宗教の疫学ー」脇本平也 ・柳川啓一編 『現代宗教学(1) 宗教体験への接近 』31-59, 東京大学出版会

「幻覚宗教の疫学」などという伝染病のような比喩はいささか不適切だが、この論文はブラジルでのアヤワスカ系宗教運動について、日本語で読める良質な情報源であり、私の知識もこの本に負うところが大きい。

*3:Coe, M., McKnnna (2016). The Therapeutic Potential of Ayahuasca | SpringerLink

*4:Umwelt。「環境」とも訳される。

*5:Umgebung

*6:UmweltとUmgebungについては、ユクスキュル『生物からみた世界』を参照。
ユクスキュル, J. von, クリサート, G 日高敏隆・羽田節子(訳)(2005).『生物から見た世界』岩波書店.

ユクスキュルは、生物の周囲の環境は、その生物の意味世界であり、客観的な環境ではない、と主張しているのに対し、青井被告は、環境を主観的に歪めるのではなく、主観から離れた客観によってとらえるのが科学だと主張している。これは、青井被告の純粋経験についての議論ともつながっている。

*7:ガリレオ裁判については、たとえば、以下の文献に日本語の概説がある。
豊田利幸(編)(1979).『世界の名著 26 ガリレオ中央公論新社.


田中一郎 (2015).『ガリレオ裁判―400年後の真実―』岩波書店.

*8:『五燈會元』にある原文では「看却下」。
普濟(編)(1300).『五燈會元20卷 [8] 』