青井被告は、初公判で、自らの行いをボーディサットヴァだと供述した。日本の法廷でサンスクリットを使い罪状を否認するとは、かつてのオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫を思い起こさせた。
この人物は、いったい何者か。初公判の後、青井被告は再逮捕され、京都の郊外にある留置所に戻っていた。私は、喜久山弁護士を介して、留置所に接見の希望を伝えた。
喜久山弁護士は、割り当てられた国選弁護人であり、薬物事件が専門ではない。青井被告は、この初対面の弁護人に対し、開口一番「アカシア・コンフサとミモザ・テヌイフローラのお茶は麻薬及び向精神薬取締法の別表一のロによって麻薬から除外されている麻薬原料植物以外の植物の一部分です」と朗唱したという。多くの刑事事件を担当してきた喜久山弁護士にとっても、このように法律の条文を正確に暗唱する被告は初めてだった。これは本当の意味での確信犯だ、と確信したという。
どうやら、正義感あふれる若い女性の検事が、勇み足で、インターネットを悪用して覚醒剤を売買する新種の組織犯罪を摘発したと勘違いした、というのが事件の実態のようだ。
「4ヶ月も拘留されるとは、懲役刑ではあるまいし。人権侵害です。検事のほうを訴える必要がありますね。若さゆえの過ちでした、と言わせて更生させなければ」
「検事さんをゆるしてあげてください。彼女は自分が何をしているのか、わかっていないんです。ただ職務に忠実だっただけです(Forgive the prosecutor, for she knows not what she do., Perdoe a promotor. Ela não sabe o que faz.[*1]」
「十字架にかけられる覚悟ですか」
「さすがに死刑はありえないっす」
PCのモニタの中にいる青年は、人類の罪を贖う救世主なのか。それとも人をからかって楽しんでいるだけの愉快犯なのか。
「なぜ冤罪を起こした検事を弁護するのですか」
「検事さんとは、因縁の姉弟対決というか、なんというか、自分、『姉み』に弱いんです」
「姉み?調書を読んだかぎりでは、検事のほうが年下では」
「検事さんは、自分の『永遠の姉』なんです」
私は第二回公判の後で、ふたたび青井被告の婚約者と会った。
「『ゆるしてあげてください』云々は、イエスが十字架にかけられるときの決めぜりふですよ」
「ほな私はマグダラのマリアか?あの検事の女[*2]!」
三歳年上の婚約者は、妬みと怒りの入り交じった大阪弁で怒鳴った。
彼女はむしろ、ハディージャだ。青井さんは神の子などではない。ただの、普通の人間だ。私も普通の人間だから、彼が神の言葉を預かったかどうかなど知らない。しかし、たとえ彼が神の言葉を預かったとしても、それは、ただ預かっただけで、彼は、ただの人間なのだ。
「最高裁まで争う覚悟はできています」
「最高裁?」
「お茶(O Chá)は違法ではありません。憲法十三条の幸福追求権にてらして違憲です」
「そんなことをしたら、何十年かかるか。裁判費用も馬鹿にならない」
「自分が逮捕されて有名になったので、おかげさまで『雑草で酔う』が増刷されました。いまパート2で、仮題、獄中で酔う、という本を書いています。それからパート3、完結編、勝訴に酔う、を書きます。三部作で売り込んでベストセラーにします。自分の推計では印税は1500万円プラスマイナス300万円ですから裁判三回分稼げます」
これは悪い冗談(sacanagem)か?
事前に調書に目を通しておいた。容疑者の言動には理解不能な部分が多いが、首尾一貫性があり、精神鑑定の必要なない、と書かれていた。
「自分は、最後まで争う決意を固めました。争うといっても、悪いことを正当化しようとしたり言い逃れしたりするつもりはありません。『法律を解釈する』という知的なスポーツに興じる、という意味です」
「スポーツ?」
「日ごろ励まし、支えてくださる全ての方に感謝するとともに、先人の方々、運営スタッフ、 そして出場全選手に敬意を払い、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々、プレーすることを誓います!」
裁判というものを馬鹿にしている。
「自分、無敵です!」
「なぜですか?」
「失うものが何もないからです」[*3]
彼の阿呆さ加減が、「本来無一物」と喝破した伝説の禅の六祖、慧能の姿と重なった。
失うものが何もないとは、しかし、ご家族はどうお考えなのか。
第二回公判の後で、傍聴に来ていた、青井被告の父親に会った。意志のしっかりした表情をした、初老の男性だった。彼は、市役所の職員をしていたが、いまは退職したという。市役所では、同僚たちが、つぎつぎとうつ病で倒れていったという。
「どうしてこんないい人が、という人が、うつ病になるんです」
「いえ、うつ病というのは、いい人がなる病気なんです。責任感の強い人にかぎって、重荷に耐えられなくなってしまうんです」
「うつ病は薬で治せるといいますが、今の抗うつ薬で治る人は70%しかいません。あとの30%は治らないんです」
「そうですね。治療抵抗性うつ病といいますね」
「でも、息子は、雑草の中から、残りの30%を治す薬を発見したんです」
彼は私の目をじっと見つめた。
「私は、息子を誇りに思います」
私は驚いた。彼は、大うつ病の30%が従来の抗うつ薬に反応しない、治療抵抗性うつ病だという数字まで、正確に知っていた。DMTやケタミンのような精神展開薬が治療抵抗性うつ病に奏効するというのは、青井被告の発見ではない。しかし、彼は、きっと、息子のことを理解しようとして、勉強したのだろう。エディプス・コンプレックスの不在。息子を誇りに思うと言いきれる父親に、敬意を抱いた。
第四回公判の前に、法廷の入り口で列に並びながら、青井被告と話をしていた。その横に知的な雰囲気の女性があらわれ、私に話しかけてきた。青井被告の母親だという。
法廷での供述のために、青井被告は、着慣れないスーツを着ていたが、青いネクタイが曲がっていた。この世話好きそうな女性は、手を伸ばして彼のネクタイをまっすぐに直しながら、私に挨拶をした。どうやら、私が法廷で青井被告を弁護している大学教授だと聞いていたらしい。
「お母さん、こんなことになってしまって、本当に心配されたでしょう」
「ええ、私も最初は食べものが喉を通らなくて、なんだか、体脂肪が落ちて、スリムになってしまいました」
「これは警察の間違いです。きっと暴力団か何かと勘違いされただけです。大丈夫ですよ。しかし、ここまで頑張るとは、立派な息子さんですね」
「この子はね、もう小学生のころから、育てたトマトにピップエレキバンを貼ると甘くなるとか、けったいなことばかりしてましてね、何回失敗してもね、絶対に甘くなるんや言うてね、ほんま、そんな実験ばっかり。頑固な子やねえ」
「その探究心が、うつ病を治す薬草を発見したんですね」
「ほんま、ポジティブ、ポジティブ。この子はポジティブなだけが取り柄なんですよ」
お母様は、息子の顔を見て、微笑んだ。そして私に向かって、頭を下げた。
「せんせ、この子を、どうかよろしくお願いします」
母親の心の中では、息子というものは、永遠の少年のままなのだ。