DMTea Ceremony Case

アヤワスカ茶が争われている最初の裁判

被告人質問 ー京都アヤワスカ茶会裁判ー

京都地裁では2021年11月10日に二名の弁護側証人尋問が行われ、午後には青井被告に対する被告人質問が行われた。

以下は、被告人質問における青井被告の発言の一部を抜粋して整理したもの。被告人が検察官に向かって長々と説諭するのは異例のことらしい。しかもサンスクリット仏教用語が出てくるのは、オウム真理教事件以来だとも言われる。

青井ふうの独特の語り口も残しているが、もうすこし加筆予定。(資料整理共同作業者募集中。)

心を病んだ人は酔いを求めざるをえません。酒以外はダメ、ゼッタイ。日本人は遺伝子が、酒を飲めない人が多い[*1]禁酒法時代のアメリカのようなものです。皆さん、想像してください。

マイスリーを大量に飲みすぎて大黒天魔王だとのたもうで病院に運ばれたり。自分は危険ドラッグ撲滅運動として活動を始めました。ハームリダクションです。治療が必要な人を牢屋に閉じ込めることは、あってはならない。更生だとか刑罰とは、もっとも遠い人たちです。

医療と宗教という選択肢がありますが、自分は宗教です。ペルーにあるアヤワスカという治療体系を参考にしましたが、仏教と類似性があります。

日本では神道や仏教があります。仏教というのはDMTを活性化する方法です。その使いこなし方として仏教が保存されてきました。

初公判でも申しましたが、初期仏教では、ボディサットバ、日本語では菩提薩埵、菩薩といいます。ボーディとは悟り、サットバとは求める者。自分が悟りを求める。大乗仏教では、さらに意味が変わり、他の人を助ける、ケアする、修行の道を指し示す。これが菩薩行、菩薩行の連鎖です。

(傍聴席を振り返って、前を向きなおして、両腕を挙げて)見てください。九割の人が(アヤワスカの)ユーザーです。皆さん、菩薩です。(裁判官、検察官は無関心に見えた。)

自分は四ヶ月留置されて修行にはとても良かったですが(傍聴席から失笑)、留置所では酒もタバコもダメ。ただ、毎朝、コーヒーが出ました。カフェインのような覚醒剤アナログを朝食に出すとは。(覚醒剤で逮捕されたような)カテコール酔いを徹底してインドール酔いに傾かせるには、朝のカフェインをなくして弁当の味を薄くしなければなりません。

留置されていると、アヤワスカと同じ酔いが得られる。これは茶禅一味というそうですが、仏教の呼吸法は、呼吸法はまあ密教ですが、それと(アヤワスカは)同じ味がする、同じ酔いが得られる。そういう意味です。

アカシアやミモザにはDMTという物質が含まれています。禅の呼吸法や何時間も座ったり、それと同じです。安全です。脳みそでは、あるいは肺なのか、まだわからないのですが、内因性DMTが作られています。植物の中にも同じ物質がある。

(検察官に向かって)誤解で起訴されました。推定無罪ではなく、逮捕即犯罪です。検察官には、起訴した以上は有罪にしなければいけないというプレッシャーがかかる。ブラック企業になっている。しかし、検察官個人を弾劾しないでください。第二、第三の人権侵害が生まれてしまわないよう、組織として解決してほしい。組織の問題として改善していってほしいと思います。

→次回の「結審」の記録
→「京都アヤワスカ茶会裁判 ー アマゾンの薬草が日本で宗教裁判に? ー

CE2022/01/11 JST 作成
CE2022/02/15 JST 最終更新
蛭川立

結審(第十六回公判)

西暦2022年1月11日、13時30分。京都地方裁判所、101号、大法廷。

京都地方裁判所

三人の裁判官が法廷に入る。全員が起立し、一礼した。

検察官による長い論告が早口で読み上げられた。今までの1年半、争われた内容を総括しているのだから、内容が長い。

検察官は何度も「アワ、あ?ヤワスカ」と言い間違えたが、無理もない。インカ帝国公用語たる、ケチュア語である。それが日本の古都である京都で語られるとは。

そして、求刑が行われた。

「広く、不特定多数の客に対し麻薬の害悪を拡散させていたのであるから、悪質というほかない。動機に酌量の余地はなく、意思決定には強い非難が妥当する。反省の態度は認められず、再犯可能性も高い。矯正施設に収容し、猛省を促すとともに、徹底した矯正教育を施す必要があり、四年実刑に相当する」

これに対し、弁護人の、長い最終弁論が行われた。これも、論告と同じぐらい長いが、若い弁護士の語りは、ゆっくりと、そして力強かった。

「七件、すべての事件において、被告人を無罪にするしかありません」

最後に、被告人に最終陳述の機会が与えられた。

裁判官が問いかけた。

「以上で審理は終了しますが、最後に何か言いたいことはありますか」

青井被告は、なぜか小さなホワイトボードを持って証言台に移動した。

この前、科学館に行ってきたんですよ。ジャイロを使ったアトラクションがあって、自分はその仕組みがよくわかりませんでした。自分は高校では生物をとっていて、物理はとっていなかったからです。

どんな反省や謝罪の言葉が出てくるかと思ったのだが、唐突に科学館のアトラクションの話である。

検事さんが「分離」や「抽出」という言葉を間違って使っていたとしても、あるいは分岐分類学の概念なども、用語の使用法が間違っていても、まあ、いたしかたのないことです。
 
裁判が終わった後で検事さんを三月に左遷するとか[法廷に失笑、聞き取れず]するとか、一切しないようにしていただいて。
 
本当に、この場を作ってくださったことに感謝します。この場は、もうセラピー会場だと、感謝が止まりません。感謝します。

反省でも謝罪でもない、感謝である。

法廷はセラピー会場であり、感謝しているという。検察官個人を譴責するのではなく、検察は組織としての体質を改めていただきたい、という、被告人質問(→「被告人質問」)と同じ言葉が繰り返された。

最初の接見のとき、青井被告が「検事さんをゆるしてあげてください。あの人は自分がしたことがわかっていないんです」と言った、まるで人類の原罪を背負う救世主のような言葉を思い出した。

裁判官も検察官も、またか、という表情のままで、ほとんど話を聞いていないように見えた。

すみません、もう一点。
 
逮捕されたときに、留置所の、通称、たまり場というところで、自分は、はじめてヤクザという方に会いました。そのヤクザの方に「おいお前、結審では何て言うんや」と聞かれたので、自分が「世界平和のためにやりました、と言います」と言ったら、ヤクザさん、大笑いしていました。「量刑増やすだけやで」。
 
なぜ?そのとき自分は、なぜそのヤクザの方が笑っていたのかが、理解できませんでした。
 
自分は世界平和のために活動してきました。これが罪に当たるとは思っていませんでしたし、今でも罪だとは思っていません。

判決の日程調整が行われた。判決は5月9日の月曜日、午前10時と決まった。4ヶ月も先だ。

裁判長が閉廷を宣言した。全員が起立し、一礼した。



【注】この速報記事の続きに書いた、青井硝子事件のマゾヒズム的性質については「『姉み』の挑発」という別記事に独立させた。

→「京都アヤワスカ茶会裁判・トップページ

CE2022/01/11 JST 作成
CE2022/09/17 JST 最終更新
蛭川立

京都アヤワスカ茶会事件の時系列

年月 日付 出来事
2015年
8月 青井硝子、同人誌『煙遊びと薬草』を創刊
2016年
8月 青井硝子、『薬草協会』を設立
2017年
11月 韓国でアヤワスカを輸入した人物が逮捕、有罪判決[*1]
2018年
2019年
7月 24日 京都の大学生がアカシア茶を服用。京都家庭裁判所に保護される。
10月 29日 青井硝子『雑草で酔う』が彩図社より発売
2020年
2月 26日 青井硝子が大阪の友人宅でミモザの茶会を催した。
(茶会に参加した友人らは、ミモザ茶を服用していないと供述している。アマゾンの先住民族の治療儀礼において、シャーマンのみが茶を服用し、クライアントは茶を服用しないことも多い。)
3月 3日 京都府警、三重県の自宅で青井硝子を逮捕。
青井硝子の自宅にあったアカシア茶からDMTが検出された。
青井硝子の尿中からDMTが検出された。
青井硝子、京都府京田辺署に留置。
4月 7日 新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、緊急事態宣言が発令される。
青井硝子、起訴【1】(大学生の麻薬製造・施用を幇助)
7日 今城まゆ(京都地方検察庁)令和2年(わ[*2])第316号(製造・施用幫助)
青井硝子が「大学生2019年7月に麻薬の「製造」と「施用」をしたこと」を「幇助」したこと
14日 青井硝子、起訴【2】(麻薬所持)
14日 今城まゆ(京都地方検察庁
令和2年(わ)第353号(麻薬所持)
青井硝子が2020年3月3日に麻薬を「所持」していたこと
5月 18日 青井硝子の二回目の尿検査。尿中にDMTは検出されず。
21日 緊急事態宣言解除。
29日 青井硝子、起訴【3】(麻薬施用)
29日 今城まゆ(京都地方検察庁
令和2年(わ)第453号(麻薬施用)
青井硝子が2020年2月26日に知人宅で麻薬を「施用」したこと
6月 8日 初公判(京都地方裁判所
11日 青井硝子、保釈。
19日 青井硝子、再逮捕。
三回目の尿検査。尿中にDMTは検出されず。
26日 青井硝子、起訴【4】(麻薬原材料提供)
26日 今城まゆ(京都地方検察庁
令和2年(わ)第574号(原材料提供)
青井硝子が顧客に、麻薬の「原材料」を「提供」したこと
30日 青井硝子、保釈
7月 20日 第2回公判(京都地方裁判所
(8月12日と8月31日に三件の追起訴が行われる)
8月 12日 今城まゆ(京都地方検察庁
令和2年(わ)第771号(原材料提供)
青井硝子が顧客に、麻薬の「原材料」を「提供」したこと
31日 中村裕史(京都地方検察庁
令和2年(わ)第831号第1(原材料提供)
青井硝子が顧客に、麻薬の「原材料」を「提供」したこと
31日 中村裕史(京都地方検察庁
令和2年(わ)第831号第2(製造幇助)
青井硝子が上記と同じ顧客に麻薬の「製造」を「幇助」したこと
9月 7日 第3回公判(京都地方裁判所
10月 12日11時 第4回公判(京都地方裁判所第101号大法廷)
11月 16日11時 第5回公判(京都地方裁判所第101号大法廷)
12月 21日13時30分 第6回公判(京都地方裁判所第101号大法廷)
2021年
2月 16日11時 第7回公判(京都地方裁判所第101号大法廷)
3月 25日 第8回公判[*3] 10日 台湾でアカシア茶を所持していた男性が逮捕される[*4]
5月 7日 第9回公判[*5]
6月 11日 第10回公判[*6]
8月 23日 第11回公判[*7]
9月 22日 第12回公判[*8]
10月 15日 第13回公判[*9]
10月 20日 第14回公判[*10]
11月 10日 第15回公判[*11](予定)
2022年
1月 11日 第16回公判[*12](予定)




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接見の記録

最初の接見

青井被告との最初の接見は、2020年6月に実現した。

青井被告は、初公判で、自らの行いをボーディサットヴァに例え、罪状を否認した。そして再逮捕され、また京都の郊外にある、田辺の留置所に戻っていた。

日本の法廷でサンスクリットを使い罪状を否認するとは、かつてのオウム真理教麻原彰晃こと松本智津夫を思い起こさせた。

この人物は、いったい何者か。私は、担当の喜久山弁護士を介して、接見の希望を伝えた。

喜久山弁護士は、割り当てられた国選弁護人であり、薬物事件が専門ではない。

青井被告は、この初対面の弁護人に対し、開口一番「アカシア・コンフサとミモザ・テヌイフローラのお茶は麻薬及び向精神薬取締法の別表一のロによって麻薬から除外されている麻薬原料植物以外の植物の一部分です」と、法律の条文を朗唱したという。多くの刑事事件を担当してきた喜久山弁護士にとっても、このように法律の条文を正確に暗唱する被告は初めてだった。これは本当の意味での確信犯だ、と確信したという。

新型コロナウイルス感染症の拡大で発令されていた緊急事態宣言は解除されたが、外出自粛要請は続いていた(the curfew had been imposed)。留置所での接見は叶わず、テレ面会となった。弁護士が、Skypeでつないでくれた。

液晶画面の向こうに現れたのは、法廷で見たのとはまた違う、笑顔の可愛らしい好青年だった。お騒がせしてすみません、すみません、と繰り返す彼は、とても謙虚な人物のようにみえた。

およそ「住所不定無職」「麻薬の売人」というイメージとは程遠いし、狂信的なカルトの教祖といった雰囲気もない。

職業は、農業らしい。自分の畑に自作の小屋を建てて住んでいるのだが、なぜか住民登録がうまくいかないのだという。

私は、留置所に行き、南米での体験を書いた『精神の星座ー内宇宙飛行士の迷走録ー』という本を差し入れるつもりだったが、彼は独房に秘密のアンテナを自作し、携帯電話の電波を傍受し、拙著の電子版を手元のスマホにダウンロードしていた。

犯罪の少ない日本でも、ときどき、薬物乱用で逮捕される人がいるが、それが初犯で、組織犯罪でなければ、そして本人が反省していれば、不起訴で終わる。

だから、個人が薬物事件で起訴されたと聞いて驚いた。しかも三ヶ月も勾留され、繰り返し追起訴されている。その薬物というのが、DMTを含むアヤワスカ茶である。

ネット上で不特定多数に売ったのが問題だったかもしれない。しかし、それなら薬機法で訴えられるべきだ。麻薬取締法で刑事告訴するとは、人権侵害だ。

アイデンティティという仮構

青井被告は、収監されたときに、すべての所持品を没収され、氏名さえ奪われて[*1]ただ『九番』という数字で呼ばれていた。名前というアイデンティティさえも剥奪されて数字だけの存在になる。屈辱だ。

「名前なんてどうでもいいです。自分がバリ島に行ったときには、一郎とか二郎とかいう名前の人ばかりで、それで不自由していないみたいでした。これは要するに、生まれ育った文化の問題です」

たしかにインドネシアのバリ島では、性別を問わず、生まれた順に、一郎、二郎、三郎、四郎という名前をつけて、五番目に生まれた子供には、また一郎という名前をつける[*2]。だから、街は、一郎や二郎だらけだ。

「『田辺九番』とか、ハンドルネームみたいで面白いです。でも、もっと面白くできないかと思って、ツイッターでハンドルネームを大募集しました。多数決で、自分の名前は『田辺九番、起訴太郎』に決まりました」

こいつはアホ(louco)か?私は困惑した。

「姉み」コンプレックス

どうやら、正義感あふれる若い女性の検事が、勇み足で、インターネットを悪用して覚醒剤を売買する新種の組織犯罪を摘発したと勘違いした、というのが事件の実態のようだ。

「4ヶ月も拘留されるとは、懲役刑ではあるまいし。人権侵害です。検事のほうを訴える必要がありますね。若さゆえの過ちでした、と言わせて更生させなければ」

「検事さんをゆるしてあげてください。彼女は自分が何をしているのか、わかっていないんです(Forgive the prosecutor, for she knows not what she do., Perdoe a promotor. Ela não sabe o que faz.[*3]」。ただ職務に忠実だっただけです」

「十字架にかけられる覚悟ですか」

「さすがに死刑はありえないっす」

PCのモニタの中にいる青年は、人類の罪を贖う救世主なのか。それとも人をからかって楽しんでいるだけの愉快犯なのか。

「なぜ冤罪を起こした検事を弁護するのですか」

「検事さんとは、因縁の姉弟対決というか、なんというか、自分、『姉み』に弱いんです」

「姉み?調書を読んだかぎりでは、検事のほうが年下では」

「検事さんは、自分の『永遠の姉』なんです」

彼は、父なるものと闘おうとしない。エディプス・コンプレックスの不在。そして「姉み」のある女性に対しては、マゾヒズム的な被虐願望があるらしい。

本来無一物

最高裁まで争う覚悟はできています」

最高裁?」

「お茶は違法ではありません。違法だと判断されたとすれば、憲法十三条の幸福追求権にてらして違憲です」

「そんなことをしたら、何十年かかるか。裁判費用も馬鹿にならない」

「自分が逮捕されて有名になったので、おかげさまで『雑草で酔う』の売上が急増しました。いま続編『獄中で酔う』を書いています。最後は『勝訴で酔う』という本も書きたいです。三部作で売り込んでベストセラーにします。裁判三回分ぐらい稼げます」

これは悪い冗談(sacanagem)か?

事前に調書に目を通しておいた。容疑者の言動には理解不能な部分が多いが、首尾一貫性があり、精神鑑定の必要はない、と書かれていた。

「自分は、最後まで争う決意を固めました。争うといっても、悪いことを正当化しようとしたり、言い逃れしたりするつもりはありません。『法律を解釈する』という知的なスポーツに興じる、という意味です」

「スポーツ?」

「日ごろ励まし、支えてくださる全ての方に感謝するとともに、先人の方々、運営スタッフ、 そして出場全選手に敬意を払い、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々、プレーすることを誓います!」

裁判というものを馬鹿にしている。

「自分、無敵です!」

「なぜですか?」

「失うものが何もないからです」[*4]

彼の阿呆さ加減が、「本来無一物」と喝破した禅の六祖、慧能の姿と重なった。

何も持っていないから、無敵なのである。

両親との面会

失うものが何もないと言い切る本人はいいかもしれない。しかし、ご家族はどうお考えなのか。



青井被告には、姉はいない。兄がいる。このお兄様は、大学でインド哲学を学んだそうだが、その後の消息は、よくわからないらしい。どこか、青井被告と無常な世界観を共有しているのかもしれない。

第二回公判の後で、傍聴に来ていた、青井被告の父親に会った。意志のしっかりした表情をした、初老の男性だった。彼は、市役所の職員をしていたが、いまは退職したという。市役所では、同僚たちが、つぎつぎとうつ病で倒れていったという。

「どうしてこんないい人が、という人が、うつ病になるんです」

「いえ、うつ病というのは、いい人がなる病気なんです。責任感の強い人にかぎって、重荷に耐えられなくなってしまうんです」

うつ病は薬で治せるといいますが、今の抗うつ薬で治る人は70%しかいません。あとの30%は治らないんです」

「そうですね。治療抵抗性うつ病といいますね」

「でも、息子は、雑草の中から、残りの30%を治す薬を発見したんです」

彼は私の目をじっと見つめた。

「私は、息子を誇りに思います」

私は驚いた。彼は、大うつ病の30%が従来の抗うつ薬に反応しない、治療抵抗性うつ病だという数字まで、正確に知っていた。DMTやケタミンのような精神展開薬が治療抵抗性うつ病に奏効するというのは、青井被告の発見ではない。しかし、彼は、きっと、息子のことを理解しようとして、勉強したのだろう。エディプス・コンプレックスの不在。息子を誇りに思うと言いきれる父親に、敬意を抱いた。



第四回公判の前に、法廷の入り口で列に並びながら、青井被告と話をしていた。その横に知的な雰囲気の女性があらわれ、私に話しかけてきた。青井被告の母親だという。

法廷での供述のために、青井被告は、着慣れないスーツを着ていたが、青いネクタイが曲がっていた。この世話好きそうな女性は、手を伸ばして彼のネクタイをまっすぐに直しながら、私に挨拶をした。どうやら、私が法廷で青井被告を弁護している大学教授だと聞いていたらしい。

「お母さん、こんなことになってしまって、本当に心配されたでしょう」

「ええ、私も最初は食べものが喉を通らなくて、なんだか、体脂肪が落ちて、スリムになってしまいました」

「これは警察の間違いです。きっと暴力団か何かと勘違いされただけです。大丈夫ですよ。しかし、ここまで頑張るとは、立派な息子さんですね」

「この子はね、もう小学生のころから、育てたトマトにピップエレキバンを貼ると甘くなるとか、けったいなことばかりしてましてね、何回失敗してもね、絶対に甘くなるんや言うてね、ほんま、そんな実験ばっかり。頑固な子やねえ」

「その探究心が、うつ病を治す薬草を発見したんですね」

「ほんま、ポジティブ、ポジティブ。この子はポジティブなだけが取り柄なんですよ」

お母様は、息子の顔を見て、微笑んだ。そして私に向かって、頭を下げた。

「せんせ、この子を、どうかよろしくお願いします」

母親の心の中では、息子というものは、永遠の赤ん坊のままなのだ。

事象そのものへ

青井被告は、両親の愛情に恵まれ、何不自由なく育った。国立の大学に進学し、微生物の培養を学んだ。顕微鏡の下で細胞が分裂していくのを見るのは面白かったが、人とうまく話すことができなかった。人と長い時間話をしていると、なぜか頭が痛くなってしまう。

大学を卒業しても、会社には就職しなかった。日本人は朝から晩まで働きすぎる。日本の会社は、人間関係が複雑すぎる。

彼は海岸で、ウニなど、シーフードになる海洋生物の養殖の仕事を始めた。しかし、2011年3月11日、日本で大きな地震が起こり、津波が彼の養殖場を流し去ってしまった。

彼は、すべてを失った。

失ったというのは正確な表現ではないかもしれない。最初から何も持っていなかったことに気づいたというほうが正しいだろうか。

それから、彼は、仕事で使っていた軽トラックの背中に屋根をとりつけて、「エスカル号」と名づけた。それが彼の家だった。短期でアルバイトをしながら、街から街へと移動した。

見たところ、彼はマッチョな男ではない。しかし、大学で学んだ生物学の知識が彼を助けた。貨幣経済の社会では、収入が少ない人は「食べていけない」という。そうだろうか?足下を見れば、たくさんの植物や動物たちがいる。

起きて半畳寝て一畳。水と、空気と、植物と、動物と、そして善き隣人があれば、生きていくのには何も問題はない。

金はなくても、知識があれば生きていける。植物についての知識(sabidoria)だ。猟銃の免許も取得し、イノシシを撃って食べた。殺された動物が、どんな気持ちだったか、考えながら、肉を解体し、感謝しながら、料理して食べた。

やがて、植物が彼に知識(sabedoria)を教えてくれるようになった。「酔い("bebedeira")」を通して、彼は知恵(sabedoria)」を得た。

彼は、PCのモニタ越しに、当時のノートを見せてくれた。[*5][*6]

ある夏の日の夜、彼は南アルプス山麓で、ケシ科の植物、クサノオウを煙草にして吸ってみた。

目に飛び込んでくる街灯の光が揺らいだ。

背筋に快感が五回、六回と走った。

意識が覚醒した。世界が完璧に見える。そうとしか言いようがない。

バグを見つけた快感は、まさにこれなのだろう。

世界はバグで満ちている。ほんの少し薄皮をめくってやれば、ほらこんなにも完璧に薄ら淀んだバグが見つかるじゃないか。

目をかっと見開きつつ夜のダム湖畔をさまよう。擦れる草がとてもくすぐったい。秋虫の鳴き声が脳内でサラウンド再生される。

心地よい眠気に誘われるままに「エスカル号」に戻り、そのまま眠りに落ちた。

その晩、彼は明晰夢を見た。夢を夢だと意識することができる夢だ。

目の前に、豊満な乳房の、裸の女性がいた。

性的な行為は一切せず、ただひたすら隣に寄り添って肌の暖かみを分けてもらった。

その時気付いた。「ああ、このひとはお母さんだ」って。

その甘い夢の中で、そういえば昔から母に甘えたことは少なかったな、と思い出す。甘えれば受け入れてくれたのだろうが、なにがどうして甘えることを許さないような、壁、があった。

「神様や精霊は見えなかったのですか」

「神は見えません。世界が見えます」

「世界が見えるとはどういうことですか」

「事象だけが見えるということです」

事象そのものへ!(Zu den Sachen selbst!)[*7]」ーフッサールの「現象学的判断停止(epokhế)」、「現象学的還元[*8]」という言葉が想起された。

亜酸化窒素を吸引したジェームズは、それを「pure experience[*9]」と呼び、妙心寺に参禅した西田は、それを「純粋経験」と呼んだ。

「この普通とは別の形の意識を全く無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものであることはできない」[*10]。ほんの少し薄皮をめくれば、世界は完璧な姿をあらわす。

「事象だけ」の世界はバグだらけだ。いや、生活世界(Lebenswelt[*11]というプログラムからはみ出てしまう事象をバグとして、見ないようにして、イリーガル・ファンクション・コールが出ないようにしているのだ。

今までずっと色眼鏡をかけて生きてきたことに気づかなかっただけで、それを外しさえすれば、たちまち目の前には完璧な世界があったことをーそれを忘れていただけだったということにー気づいた。

「薬草協会」

その体験以来、いつの間にか、人と話をすると頭痛がするという、不思議な持病が消えていた。

それから彼は、植物の中に含まれるサイコアクティブな物質を探求し始めた。人間には、肉体の栄養だけではなく、魂の栄養も必要だからだ。

耳を澄ませると、それぞれの植物が、それぞれの歌を歌っているのが聞こえるようになってきた。

一つの植物に、一つの歌がある。植物たちは、何を語りかけてくるのだろう。

知りたいことがあれば、Googleさんに聞けば良い。放浪生活をしていたとはいえ、Wi-Fiの圏外には出なかった。むしろ、無線でインターネットに接続できるインフラを整備してくれた文明というものに感謝した。

「自然に還れ」ではない。「技術を引き連れて、もう一度原始へ還れ」なのだ。

ネットを検索して、彼は『彼岸の時間ー〈意識〉の人類学ー(O Tempo do Higan - A antropologia da consciência -)』という、不思議な名前のブログを見つけた。

アマゾン川のジャングルに、シピボ族という少数民族がいる。その人たちは、アヤワスカというお茶を飲んで、植物の精霊と出会い、精霊の歌を聴くという。日本人の人類学者が、シピボ族の村に行って自分もお茶を飲み、精霊の世界を体験したのだという。探していたものはこれだ、と直感した。

アヤワスカという「お茶」の有効成分はN, N-ジメチルトリプタミン、DMT。IUPAC準拠化合物命名法によれば、三、二、ジメチルアミノ、エチル、インドール。たちまち分子構造が脳内で再構成された。それがセロトニン、つまり五、ヒドロキシトリプタミンと酷似するインドールアルカロイドだということは、すぐにわかった。生化学は、大学生のときに勉強した。

しかし、DMTは経口で摂取すれば消化酵素で分解されてしまう。アマゾンの先住民族たちは、このことを知っていて、DMTを含むチャクルーナという植物と、ハルミンを含むアヤワスカという植物を組み合わせてお茶を点てているという。じつによく工夫されている。彼はとても感心した。

そして、このアヤワスカ茶を、日本に自生している植物で再現しようと考えた。DMTは、あらゆる植物の中に含まれている。試行錯誤の末、アカシア・コンフサという、黄色い花を咲かせる植物に出会った。アカシアの精霊は、青磁のように深く青く、団欒のように優しいオレンジの色彩を歌っていた。

モノアミンオキシダーゼ阻害薬はどうやって調達するか。これもGoogleさんに教えてもらった。通販でモクロペミドというサプリメントを買った。これをアカシアのお茶といっしょに飲み込むと、薄皮の向こうにある完璧な世界が見える。じゅうぶんな再現性がある。

そして青井被告は『薬草協会』の活動を始めた。2016年のことである。

ハディージャ

私は第二回公判の後で、ふたたび青井被告の婚約者と会った。

「『ゆるしてあげてください』云々は、イエスが十字架にかけられるときの決めぜりふですよ」
「ほな私はマグダラのマリアか?あの検事の女[*12]!」

三歳年上の婚約者は、妬みと怒りの入り交じった大阪弁で怒鳴った。

彼女はむしろ、ハディージャだ。青井さんは神の子などではない。ただの、普通の人間だ。私も普通の人間だから、彼が神の言葉を預かったかどうかなど知らない。しかし、たとえ彼が神の言葉を預かったとしても、それは、ただ預かっただけで、彼は、ただの人間なのだ。

「酔い」の三類型

「お茶を飲む(drink / beber)ことで何が得られたのですか」

「お茶から得られるのは、『酔い(drunkenness / bebedeira)』です」

「知恵(sabedoria)?」

思わず問い返した。聞き間違えたのかと思った。

「いえ『酔い(bebedeira)』です。『酔い(bebedeira)』によって『知恵(sabedoria)』が得られるというわけです」

彼は、ときどき奇妙な言葉を使う。それでは、彼の言う「酔い(bebedeira)」とは何か。

「『酔い[ as bebedeiras]』には、ざっくり三種類あります。『オピオイド酔い ["a bebedeira do opioide"] 』と『カテコール酔い ["a bebedeira do catecol"]』と『インドール酔い ["a bebedeera da índole"]』です。人間は生きているかぎり、何かに酔っていなければ生きられないというわけです。留置所は社会の外部ではありません。むしろ社会の縮図です。留置所という厳しい環境では、闘いの適応戦略(strategy)が試されます。氷河期にネアンデルタール人は滅びましたが、ホモサピエンスは闘って生き延びました。ホモサピエンスは三種類の『酔い』を使い分けて生き延びる戦略を進化させました」



拘留生活が二ヶ月目に入った、ある曇り空の午後、婚約者が青井被告に一冊の本を差し入れた。隠れキリシタンを題材とした、遠藤周作の『沈黙』である。

1549年、ポルトガルから福音を伝道すべく派遣されたイエズス会の修道士、マヌエル・ダ・ノブレガは、トゥピ人の土地、つまり、ブラジルのサルバドールに上陸した[*13]。そして同年、フランシスコ・ザビエルが日本の鹿児島に上陸した。
 
ジャポンという、この極東の島民たちは神の言葉に大いに関心を示し、熱心に学び始めた。ザビエルは、この島の人々は、善良にして礼儀正しく、今まで出会った異教徒の中で最も優れた人々であると感嘆し、彼らは良きキリスト者になるに違いないと、本国ポルトガルに報告書を書き送った。
 
しかし日本の将軍は、キリスト教の布教は、ポルトガルが日本を植民地支配するための口実だと決めつけた。サムライたちが刀を振りかざし、信心深い「切支丹(刀で斬り殺すべき人々)」たちを徹底的に弾圧し、やがて日本は白人を国外追放し、鎖国した。

しかし、暴力は信仰の灯火を消すことはできなかった。
 
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである(Blessed are those who are persecuted for righteousness’ sake, for theirs is kingdom of heaven)[*14]

「その本を読んで、どう思いましたか」

「なんだか不健康ですね」

あっさりひと言でで片付けられてしまった。

マルクスさんは宗教は民衆のアヘンだ(Die Religion … ist das Opium des Volks.)[*15]」といいました。アヘンから単離されたモルヒネオピオイド、つまり鎮痛薬です。そして1975年にブタの脳から内因性モルヒネであるエンドルフィンが発見されました。向精神薬と同じ働きをする物質が後から脳内で発見されることはよくあります。DMTもそうです。痛みを感じると、脳内でβ-エンドルフィンが分泌され、痛みを麻痺させます。痛めつけられれば痛めつけられるほど、β-エンドルフィンが分泌され、痛みは快楽に変わります。マゾヒズムの脳内機序です。これが『オピオイド酔い["a bebedeira do opioide"] 』です。オピオイド酔い闘争を、自分は『ルート1』と定義しました。オピオイドには耐性と身体依存性があります。だから『オピオイド酔い["a bebedeira do opioide"] 』は不健康です」

青井被告は大学で生物学を学んだが、体系的な哲学や思想は学んでいない。しかしマルクス唯物論的宗教批判を内因性モルヒネの作用機序として解釈するのは、生物学オタクである彼の独壇場だ。

彼は、いま『雑草で酔う』の続編として『獄中で酔う』という本を書いているのだといって、小学生のような文字でノートに走り書きした、手書きの図を見せてくれた。

「酔い」 オピオイド酔い カテコール酔い インドール酔い
神経伝達物質 エンドルフィン ドーパミン セロトニン
  ノルアドレナリン DMT
向精神薬 オピオイド鎮痛薬 精神刺激薬 精神展開薬(psychedelics)
依存性 身体依存 精神依存  
耐性 耐性 耐性 逆耐性
宗教 キリスト教[*16] 資本主義 仏教
欲望 禁欲 欲望 瞑想
支配 被支配 支配  
闘争 ルート1 ルート2 ルート3
愛の様相 恢(ハイ) 愛(アイ)
合言葉 (閉じていく) やってやり やっていき

過度な図式化である。彼の世界観の中では、人間の思想と行為が、すべて神経伝達物質の増減に還元されてしまう。

「それではキリスト教も依存性薬物ですか」

「国家管理用の宗教に変質させられた後のキリスト教です。敵が強ければ強いほど『こんなに強い敵に虐げられて抵抗して頑張って、でも抑圧されている私たちってなんて立派で偉いんでしょう』という酔いが発生します。これは支配する側に都合の良い酔いです。陰謀論(conspiracy theory)にも好適な生育環境です。やっていることは立派かもしれませんが肉体的健康が損なわれます。

WHOの定義によれば、健康とは、肉体的、精神的、社会的、そして霊的の四要素からなる動的平衡状態です。ひとつでも失えば闘えなくなります。これが『ルート1』の弱点です。そしてこの『オピオイド酔い』と共進化してきたのが『カテコール酔い["a bebedeira do catecol"]』です。自分はこのカテコール酔い闘争を『ルート2』と定義しました。つまりマックス・ウェーバーさんの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus)』[*17]です」

ギリシアプラトン主義と出会い洗練されていったキリスト教思想の霊性は、19世紀のドイツにおいては、すでに形骸化していた。資本主義は、そこから生まれた。カトリックが僧院を中心とする現世拒否的禁欲(weltablehnende Askese)という倫理にもとづいていたのに対し、世俗化され、聖別された僧院を否定するプロテスタントの倫理は現世内的禁欲(innerweltliche Askese)である。禁欲的な労働が蓄積を生み、蓄積がさらに資本主義を発展させた。

日本では、拘置所で暮らす人々の多数派は「ヤクザ」と呼ばれるマフィアのメンバーである。彼らはもっぱらメタンフェタミン覚醒剤)の違法取引によって資金を得ている。どうやら被告人も、メタアンフェタミンを取引していたと勘違いされてしまったらしい。

「ヤクザさんたちはカテコール酔い闘争、つまりルート2によって拘置所での生活に適応しています。ホモサピエンス氷河時代を生き延びた第二の適応戦略です。ヤクザさんたちは社会に対して怒り、社会の中で犯罪を犯し、拘置所に入れられ、拘置所に入れられたことに対してまた怒り、またその怒りを原動力にして生き延びます。ヤクザさんたちは反社会的ではありません。資本主義社会に『過適応』しているというわけです。ヤクザさんたちは、ノルアドレナリンによる怒りを原動力にして戦い、勝利のドーパミンに酔います。負けるとオピオイド酔いに落ちます。負けが込んでくるとシャブを打ってカテコールアミンを補充します。つまりルート1と2はセットです。この依存スパイラルに落ちると、勝ち負けの現場から抜け出せなくなってしまいます。満足は得られますが、幸せは得られません」

19世紀、西欧列強の圧力に抗しきれなくなった日本は開国し、脱亜入欧を合言葉に、富国強兵の帝国へと急発展をとげつつあった。強壮作用のある漢方薬、麻黄からエフェドリンが単離され、そこからメタアンフェタミンが合成された。メタアンフェタミンは「ヒロポン(Philo-Pon(好き・労働))」という商品名で発売された。メタアンフェタミン「スピード」ともいう。どこまでも加速していくのが、資本主義の精神である。

この「労働好き」薬でカテコール酔い状態になった日本人たちは、強い帝国を築き、膨張し、自らが模倣した西洋文明と戦い、敗北した。敗戦後、国家が管理していたメタアンフェタミンが民間に違法に流出した。日本人は、その驚異的な勤勉さで祖国を、世界一安全で豊かな社会へと復興させた。その豊かさが絶頂に達し、頭打ちになった、1986年に、被告人は生まれた。私が京都大学に入学し、生物学の勉強を始めた年でもある。

「カテコール酔い」によって、日本人は努力し、技術を進歩させ、社会を進歩させた。しかし、人々は、その先にあるものを見失いつつあった。物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさが必要だと叫ばれた。けれども、早くから仏教寺院の形骸化が進んだ日本は、西洋におけるキリスト教以上に、精神的な救いを失っていた。

インドール酔い」としての瞑想

「留置所の食事をカンベンといいます。官製弁当のことです。ご飯は70%が米で、30%が麦です。コンビニ弁当よりもずっと味が薄くておいしくなかったのですが、毎日食べているとだんだん感覚が敏感になってきて、自分は食べものの微細(subtle)な味わいがよくわかるようになりました。それに慣れてくると拘置所の暮らしが楽になりました。『インドール酔い』が発生しました。セロトニンなどのインドールアルカロイドには逆耐性があります。留置所ではアヤワスカ茶は飲めませんが、松果体から内因性DMTが出るようになりました。お寺でお坊さんたちがやっている坐禅というのは自分が開発した松果体レーニングと同じだとわかりました。だから自分は臨済宗です」

ウェーバーは、キリスト教の思想の基本には「禁欲(Askese)」があり、これと対比されるように、仏教を含むインド的宗教の基本には「瞑想(Kontemplation)」があると分析した。ここでは、キリスト教の「現世拒否的禁欲(weltablehnende Askese)」と、仏教の「現世逃避的瞑想(weltflüchtige Kontemplation)」が対比される[*18]

この「瞑想」が、「インドール酔い["a bebedeira da índole"]」である。

インドール酔いには、逆耐性がある。つまり、DMTを飲めば飲むほどに、内因性のDMTが分泌されるようになり、ついには、何も飲む必要がなくなる。禁欲をすれば、痛みを和らげるために内因性モルヒネが分泌されるが、それには耐性がある。瞑想をすれば、内因性DMTが分泌されるが、それには逆耐性がある。19世紀ドイツのキリスト教を肉体の軽蔑者[*19]と批判したニーチェは、いっぽうで仏教は宗教ではなく、いっしゅの養生法だと分析した[*20]

ヨーロッパをアヘンや酒のような「オピオイド酔い」から覚醒させたのは、植民地から持ち帰られたチャやコーヒーに含まれるカフェイン、コカに含まれるコカインだった。これらの物質は「カテコール酔い」を引き起こす。

チャの原産地である中国では、エフェドリンを含む麻黄が漢方薬として使われてきた。ヴェーダの時代のアーリア人たちは「ソーマ」と呼ばれる薬草を摂取することで絶対的な真理を得ていたとされるが、その正体は不明である。精神展開薬を含むキノコではないかという推論があるが、『リグ・ヴェーダ[*21]の中には、繊維質の植物だという記述があり、麻黄だという説も有力である。いずれにしても、インド人たちは、早くもウパニシャッドの時代までには、向精神薬を必要としなくなった。瞑想、つまり内因性DMTによる「インドール酔い」という技術を発見し、逆耐性を獲得したからである。

その後、仏教が形骸化した日本よりも早く、西欧社会でインドール酔いの再評価が進んだ。インドール系精神展開薬であるLSDが合成され、アメリカ大陸の先住民族の文化が再評価され、シロシビンやDMTなどを含む薬草が研究された。1960年代にはサイケデリック、ヒッピーといった対抗文化が発展したが、1961年の「麻薬に関する単一条約」が1971年の「向精神薬に関する条約」に改訂され、ほとんどのサイケデリックスが「スケジュールⅠ」として禁制品となった。

対抗文化は、前の世代が勝ちとってきたものに対して、対抗していた。彼らはカテコール酔いを、否定のために使い、創造のために使わなかった。自己の内部にある怒りを、外部の社会に投影していた。

自由という刑/自由からの逃走

マルクスはまた「ヘーゲル法哲学批判」で、ルターの宗教改革に触れ、「彼は僧侶を俗人に変えたが、それは俗人を僧侶に変えたからであった。彼は人間を外面的な信心から解放したが、それは信心を人間の内面のものとしたからであった」[*22]と書いている。フーコーは『狂気の歴史』[*23]の中で、西洋近代における精神科病院が僧院に由来することを指摘した。ここでいう僧院とは、カトリックの僧院のことである。プロテスタントとは、カトリックの改革である。

フーコーはさらに『監獄の誕生』[*24]において、処罰から治療へという、外的な権力による支配が内面的な規範による支配へと変容したことを指摘している。人々は自由な暮らしを謳歌していると錯覚しているだけで、内面化されたパノプティコンに支配されている、というのである。

拘置所では筋力が落ちます」

「運動不足になりますか」

「特定の筋肉が落ちます。とくに自己決定筋が落ちます」

「自己決定権?」

「自己決定筋です。いったん保釈されて思い知りました。留置所では官製弁当しか食べられませんが、外の世界では何を食べるかを自分で決められます。外の世界にはビールや焼き肉やチョコレートを食べる自由もありました。保釈されてすぐにファミレスに行ってピザを食べました。てきめんに頭痛に襲われました」

「持病の頭痛が再発しましたか」

「拘留中に逆耐性ができてしまったので、刺激が強すぎたのです。娑婆の生活は楽しいですが、拘置所の生活は楽です。官製弁当はおいしくありませんが、娑婆にいるときみたいに、毎日何を食べるのかについて考えなくていいから楽です。決まった時間に起こされて、決まった時間に弁当が出ます。自分で考える必要がなくなります」

「しかし保釈されてまた再逮捕された」

「留置所に戻って、検事さんと再会できました。『またお会いできましたね』といって手を振ったら、なぜそんなに嬉しそうなのか、理解できないようでした」

「再逮捕されたのに楽しそうなのはおかしいですよ」

「だから、自分は『監獄の内部では、人は不自由という刑に処せられているが、監獄の外部では、人は自由という刑に処せられている[*25]。そして、人々は自由という刑から逃走するために[*26]各人にとって快適な監獄を、自らでつくり、その内部に収監される。だから、およそ現世は娑婆(苦しみに満ちた世界)であり、だから、監獄の外部など存在しない』と言ってやりました」

薬物犯罪に手を染めてしまった不良少年を反省させ、更生させようと思っていた若い女性検事は、この知能犯の理路整然たる意見陳述に、返す言葉を失った。

「でも、自分は検事さんを敬愛しています。留置所では、検事さんはいつも健康のことを気づかってくれました。自分の暮らしが何によって成り立っているのか、それへの敬意を忘れません。今回の逮捕に関わった人も、今まで私の身の回りの平和を守ってきてくださった方々です。ただ上司に従って仕事をしただけです。本当にご苦労さまです」

彼は繰り返し「感謝」という言葉を使う。豊かな社会で彼が何不自由なく成長できたのは「カテコール酔い」によってその豊かさを作り上げてくれ、それを維持してきた、一世代前の日本人たちだったからだ。

酔いを醒ます酔い

南米の先住民文化は、アンデス/アマゾンという二項対立でとらえることができる。アンデスケチュア人は「嘘をつくな、盗むな、怠けるな(ama sua, ama llulla, ama quella)」を挨拶の言葉として使うほどに謹厳実直な人々であり、15世紀、コンキスタドールによる侵略を受ける直前のインカ帝国の繁栄は、宗教改革が起こった西欧を凌駕するものであった。

アンデスの先住民たちは、コカの有効成分であるコカインを服用し「カテコール酔い」による帝国を築き上げた。

アマゾンの先住民たちは、アヤワスカ茶の有効成分であるDMTを服用し「インドール酔い」による、「霊的民主主義」[*27]を発展させ、「国家に抗する社会」[*28]を作り上げた。インドール酔い闘争、ルート3を積極的に維持し、発展させたのだ。

20世紀のブラジルで、アヤワスカ茶がカトリック出会った。サント・ダイミやUDVの起源と、その後の展開については、ここで私が詳述する必要はないだろう。

これらのアヤワスカ茶系新宗教運動は、はじめはアマゾニアのセリンゲイロ(ゴム樹液採取労働者)たちによる、いっしゅの黒人奴隷解放運動だったが、1970年代以降「BRICS」の筆頭であるブラジルの中産階級へと浸透した。アヤワスカ茶は、急成長をとげる資本主義に対するカウンターカルチャーへと変容をとげてきた。サンパウロクリチバといった大都市で、サント・ダイミがでインド由来の宗教思想を旺盛に吸収している。世俗化していく中で形骸化した「秘蹟(Sacramentum)」を取り戻そうとする新しいキリスト教が「瞑想」へ向かっている。

都合よく歪められたキリスト教が、民衆を「オピオイド酔い」にしてしまった。資本主義は「カテコール酔い」に乗って加速し続けてきた。典型的なメランコリー型うつ病は、とりわけ第二次大戦後のドイツと日本の国民病となった[*29]。DMTをはじめとするインドール系精神展開薬は、典型的なメランコリー型うつ病の特効薬として[*30]、またコカイン依存、アルコール依存の特効薬としても研究が進められている。

薬物によって薬物依存が治癒するとは、どういうことなのだろうか。

インドール酔い」が、「カテコール酔い」や「オピオイド酔い」を醒ますのである。

さらに逆説的なことに「インドール酔い」には逆耐性がある。酔えば酔うほどに、酔いから醒めるのである。



CE2021/07/14 JST 作成
CE2021/07/14 JST 最終更新
蛭川立

*1:

*2:一郎、二郎、云々は、被告人の独特のセンスによる和訳で、バリ語では「Wayan, Made, Nyoman, Ketut」である。これは、数詞とは無関係である。「したがって、個人を定義する出生順位体系は、個々人の名前が「徐々に変化する」ことを表わしている。それは、人びとを四つの全く内容のない呼び方で分けている。つまりこの四つの呼び方は本当の意味での序列を決めるわけではない(というのは、一つの共同体の中でワインやクトゥトという名をもつ者に概念的あるいは社会的な意味はまったくないからである)。それらはまた(たとえばワヤンたちは、ニョマンやクトゥトとは違った共通の心理的・精神的特徴をもつという考え方もないので)それぞれの順位名をもつ個々人の何か具体的な特徴を表わすのでもない。またそれぞれ何ら意味をもたない(それらは数や数に由来する語でもない)これらの出生順位名は、実生活の上できょうだいの地位とか序列を表わするのではない。ワャンは第一子であるように第五子(あるいは第九子)であるかも知れない。それに伝統的な人口構成において―高い出産率に加えて高い乳幼児の死亡率と死産率のために―マデやクトゥトが多くのキョウダイの中で最年長であることも、ワヤンが末子であることもあるのである。それらが示していることは、どんな夫婦にとっても、子どもの誕生はワヤン、ニョマンニ目マン、マデ、クトゥトそして再びワャンという名の循環的継承、絶えることなく無限に続く四段階の反復を形成するのである。肉体としての人間は生まれ、やがてかげろうのようにはかなく消えていくが、社会的には登場人物は永遠に変らない。というのは、新しいワインやクトゥトたちが神々の超時間的な世界から現われ(赤ん坊また神性からほんのわずか離れているのだから)、神なる世界に再び消えていった者たちと交替するからである。」

『文化の解釈学(Ⅱ)』310-312.(Geertz, C. (1973). The Interpretation of Cultures. Basic Books, 371-372.)

*3:ルカによる福音書」(23章34節)とよく似た言葉だが、青井被告は、そのことを知らなかった。

*4:この論理は「無敵の人」(ニコニコ大百科)という概念に由来しているが、好き勝手に悪いことをしてもいいという意味では使われていない。

*5:一人の発達障害児が、健常への道を諦めて天才に至る道を選択する話 1 | STORYS.JP(ストーリーズ)

*6:「煙遊び」と「煙薬(けむりぐすり)」について - 青井のイクメン日記

*7:

*8:

*9:ジェームズ, W. 舛田啓三郎(訳)(1961).『宗教的経験の諸相(ウィリアム・ジェイムズ著作集3)』日本教文社, 190.

*10:私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目ざめているときの意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとは全く違った潜在的ないろいろの形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう意識の形態の意識が全く完全な姿で現われてくる。それは恐らくどこかにその適用と適応との場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を全く無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものであることはできない(ジェームズ, W. 舛田啓三郎(訳)(1961).『宗教的経験の諸相(ウィリアム・ジェイムズ著作集3)』日本教文社, 190.

(原文は「It is that our normal waking consciousness, rational consciousness as we call it, is but one special type of consciousness, whilst all about it, parted from it by the filmiest of screens, there lie potential forms of consciousness entirely different. We may go through life without suspecting their existence; but apply the requisite stimulus, and at a touch they there in all their completeness, definite these of mentality which probably somewhere have their field of application and adaptation. No account of the universe in its totality can be final which leaves these other forms of consciousness quite disregarded.」
James, W. (1988). Writings 1902-1910: The Varieties of Religious Experience / Pragmatism / A Pluralistic Universe / The Meaning of Truth / Some Problems of Philosophy / Essays. Library of America, 349.)

*11:

*12:『カム・バック・検事の女』からの引用かと思われる。

*13:植田めぐ美 (2019). キリスト教のトゥピ語翻訳とシャーマンによる再解釈―16世紀ブラジルの事例から― 総研大文化科学研究, 15, 65-85.

*14:「マタイによる福音書」5、10

*15:マルクス, K., エンゲルス, F. 出隆(訳)(1959).「ヘーゲル法哲学批判」『マルクス・エンゲルス全集(1)』大月書店, 415.

*16:被告人が言う「国家管理用に変質させられたキリスト教」のことであると断っておきたい。

*17:ウェーバー, M. 阿部行蔵(訳)(1965).『世界の大思想〈第23巻〉マックス・ウェーバー 政治・社会論集』河出書房新社, 117-235.

*18:英明「宗教倫理と現世」275-284)『宗教社会学』世界の大思想Ⅱ-7(宗教・社会論集)』209-357.

*19: ニーチェ, F. 薗田宗人(訳)(1982).『ツァラトゥストラはこう語ったニーチェ全集 第1巻( 第Ⅱ期) )』白水社.

*20: ニーチェ, F. 原祐(訳)(1965).「反キリスト者」『ニーチェ全集〈第13巻〉反キリスト者・ほか』理想社, 289.

*21:辻直四郎(訳)(1970).『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波書店.

*22:マルクス, K., エンゲルス, F. 出隆(訳)(1959).「ヘーゲル法哲学批判」『マルクス・エンゲルス全集(1)』大月書店, 422-423.

*23:フーコー, M. 田村俶(訳)(2020).『狂気の歴史―古典主義時代における―』新潮社.

*24:フーコー, M. 田村俶(訳)(2020).『監獄の誕生― 監視と処罰―』新潮社.

*25:サルトル実存主義とは何か』

*26:フロム『自由からの逃走』

*27:Harner, M. J. (1984). The Jivaro: People of the Sacred Waterfalls. Univ of California Pr. www.amazon.co.jp

*28:クラストル『国家に抗する社会』。ただし、クラストルは、アンデス/アマゾンという図式は単純化しすぎだとも指摘している。

*29:内海健 (2012). 『さまよえる自己―ポストモダンの精神病理―』筑摩書房.

*30:1960年代のアメリカでは、ジョン・カバットジンが二人のスズキ、日本から来た臨済宗鈴木大拙曹洞宗の鈴木俊隆の影響を受け、坐禅を近代化し、マインドフルネスという心理療法を作りだした。マインドフルネスがうつ病や薬物依存に有効だということはよく知られるようになったが、その化学的なメカニズムは、DMTを含むアヤワスカ茶がうつ病や薬物依存を改善することによって解明されつつある。

第九回公判・第十回公判

この項目は、書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。


新年度・裁判長交代

「ぶっちゃけ、争点がぼんやりしているのかなーっ、て、思うんですよね」

新年度から着任した安永武央裁判長は、冒頭から、東京の若者が使うような、ユーモラスな俗語で自説を展開しはじめた。こんな小さな裁判に一年以上もかける必要はない。争点を簡単に整理して、早く判決を出したい、という気持ちが感じられた。

「そのメディ・ティー。お茶。お茶っていうと、なにか、こう、ペットボトルに入っているお茶のイメージなんですけど、ま、私、実物は見たことがないですけど。そのお茶、アカシア・コンフサのお茶を規制するのなら、同じ植物、沖縄の相思樹ですか、相思樹から作られる染料なんかにも、波及効果が及ぶかもしれないな、と」

芭蕉布の相思樹染

青井被告がアカシア・コンフサを水に溶かして作った、麻薬成分であるDMTを含むお茶を取り締まるのであれば、沖縄に自生するアカシア・コンフサ、つまり相思樹を水に溶かして作った染料も取り締まられなければならない。染料が取り締まられてこなかったのに、青井被告のお茶を取り締まるなら、これは罪刑法定主義に基づく明確性の原則に反するので、そういう明快な理由で無罪判決を出したい。裁判長の語りには、そのような意味合いも感じられた。

それを察した検察官は、沖縄では相思樹を染料として使う伝統はほとんど失われており、またその染料とメディ・ティーとは「化学的性状」が異なるのだ、それは科学的常識だと反論した。

「科学的常識と言われてもですね、どういうことだか、私、理系の知識ありませんからね」と裁判長は言った。それなら沖縄の染料職人を京都まで呼んできて、相思樹の染料を造ってもらい、京大の薬学部あたりでで、その染料とメディ・ティーの化学的性状の違いを分析してみたらいい、という、突拍子もない提案をした。

「それは想定外です・・・」検察官は当惑した。「まさか沖縄から職人を証人として呼ぶわけにはいきませんし・・・」


結審の後で報じられた相思樹染めの問題(沖縄タイムス、2022年4月12日)

医療行為は正当行為か

それから裁判長は、明確性の原則の次の争点である、正当行為(刑法35条)についても、自らの法解釈を早口でたたみかけた。

「麻薬でも病気を治すために使ったから正当行為だというのなら、たとえばモルヒネモルヒネは麻薬ですけど、許可をとって使えば、痛み止めとか、病気の治療に使えるわけですよね。許可を取って使えばいいんですよ」

つまり、かりにDMTを含有するお茶が麻薬として取り締まられるとして、たとえ青井被告がうつ病を治したかったからといっても、無許可で麻薬を使用したことは、正当行為ではない、違法性阻却事由にはならない、というのである。

宗教行為は正当行為か

ここで、弁護人は異議ありと発言した。青井被告が茶を施用したことが正当行為と見なされるべきなのは、それが医療行為ではなく、宗教行為だからである。つまり、病気を治すためではなく、悩んでいる人に宗教体験を通じて楽になってもらうためだったのだ、という意見を述べた。真摯な宗教行為であるから、それは正当行為であり、違法性は阻却される。これは、初公判以来、弁護人の一貫した主張である。

日本における「宗教裁判」

真摯な宗教行為が正当行為であり違法性が阻却されたという判例は、日本ではほとんど存在しない。

ある教会の牧師が、暴力事件を起こして逃走中の男性を、教会にかくまった[*1]。これは、容疑者の逃走を手伝ったわけだから、違法行為である。しかし、その牧師は、容疑者に説教をして、彼を回心させた。その牧師の行動は違法行為だが、同時に真摯な宗教行為であり、その違法性は阻却されたという判例がある。

また、ある宗教者が祈祷によって病を癒やそうとして患者を死亡させた事件があった[*2]。医師ではなく宗教者が病を癒やそうとした結果でも、過失による死亡であれば、真摯な宗教行為として、正当行為として違法性は阻却されうるかといえば、それが死亡という、著しく社会的な良識に反する結果を招いたのであれば、それは正当行為ではない、という判例である。

「ヒーリング」と「崇高な光」

では、青井被告の「お茶会」は、どうだったか。2020年2月26日に行われ、6日後の3月3日に青井被告が麻薬施用で逮捕されるきっかけとなった、「ヒーリングお茶会」においては「ヒーリング」が行われていた。この「ヒーリング」というのは、亭主である青井被告がアヤワスカ茶を一服し、「イカロ」という、精霊の歌を歌いながら、集まった人たちの心身の不調を調整するというものである。このときは、お茶会の客たちは、アヤワスカ茶を飲んでいない。

これは、アマゾンの先住民族が行う治療儀礼をまねたものである。先住民族の治療儀礼においては、シャーマンだけがアヤワスカ茶を飲む場合と、クライエントたちもアヤワスカ茶を飲む場合がある。

心身の不調を癒やすための「ヒーリング」は、現代の日本では一般的である。医師ではない人たちが、医療行為ではない文脈で行っている。むしろ、スピリチュアルな作用によって不調が癒やされるものであり、日本語の「スピリチュアル」の概念は独特ではあるが、民俗宗教にもとづく民間療法が現代化したものだともいえる。あるいはそこで薬草のハーブティーが服用されたとしても、無免許で医療行為をおこなったという理由で規制されないのが一般的である。

また、自らアヤワスカ茶を服用し、救急搬送された大学生は、自分でうつ病自殺念慮を治療してしまった。しかし、大学生は、供述の中で、自分はお茶を飲んだ後で苦しみ始め、意識を失い、救急搬送されたと報じられたのは間違いだと言っていた。じっさいには、善と悪、自己と外界などの二元論的分節が消滅し、驚いていたところで救急搬送され、そして救急車の中で、あらゆる二元論的分節が消滅したとき、崇高で白い光が出現した。彼の自己は「ただ、ある」状態となり、もう一つの視点が、ただ、その状態を観ていた、という。まるで、サーンキヤ哲学における、プラクリティとプルシャのようである。自殺したいという思いが緩和したというよりは、自殺したいと思っていた彼自身の自己が消えてしまった。それ以来、彼の自殺念慮は消えてしまったままである。

大学生は、この体験を新聞記者や検察官に、できるだけわかりやすい言葉で伝えようとしたのだが、どうしても事故で救急搬送されたという誤解が解けなかったと供述していた。そして、法廷で証言する機会があれば、その、美しすぎるあまりに畏れを抱いてしまうような崇高な感覚を、自らの言葉で語りたい、とも供述している。

ブラジルでは、サンパウロ大学病院で、ダイミ茶が治療抵抗性うつ病自殺念慮に著効であるという臨床試験が行われており、その論文の邦訳は、すでに弁護側から検察側に提出されたが、抑うつ状態の治療のプロセスは、何日も抗うつ薬を飲み続けて、徐々に症状が改善していくというものではなく、一杯のダイミ茶を服用することで、わずか数時間後に、言語による形容不能な超越体験が起こり、そして歪んだ自己の解体と再構築が行われる。これは、治療というよりは、回心である。ブラジルでは、サント・ダイミ教会の活動は医療行為としてではなく、政府に認可された宗教法人だけが使用できる、いっしゅの宗教行為だと考えられている。

欧米圏における「宗教裁判」

日本ではDMTを含む茶が、それも宗教的な文脈で裁判になったことはない。

そこで弁護人は、日本国外で、アヤワスカ茶を儀礼的に使用する宗教団体が無罪とされた判例を、独自に日本語に翻訳したものを、早口で読み上げた。

一つ目の判例は、オランダのサント・ダイミ教会に対する、アムステルダム地方裁判所の判決である。ある女性の自宅で「ダイミ茶」と大麻が含まれる煙草が押収された。大麻国際法で規制されているが、オランダの国内法においては、非犯罪化されていた。つまり、違法だが取り締まらない、ということである。

「ダイミ茶」には、国際条約で麻薬として規制されているDMTが含まれていた。オランダの、いわゆる麻薬一般を扱う法律である阿片法では、DMTを含有する植物もまた違法である。では、DMTを含む植物から造られた茶は麻薬として規制されるのだろうか。

オランダの厚生省は国連麻薬取締委員会に問い合わせのFAXを送った。1971年の国際条約では、DMTという物質は規制されているが、DMTを含むいかなる植物も、その植物から造られる「煎じ茶(decoction)」も、国際条約としては規制していないと解釈するが、ただし、それぞれの国が、国際条約よりも厳しい国内法を作ることは妨げない、という回答がFAXでオランダ厚生省に戻ってきた。

これは、海外の地裁レベルでの判例ではあるが、このINCBの見解は、日本における法解釈に、重要な意味を持つ。なぜなら、日本の麻薬及び向精神薬取締法には、DMTは違法だが、DMTを含む植物は合法と明文化されている。しかし、その中間形態であるお茶が合法か違法かは明文化されていない。国内法に書かれていないものについては、「煎じ茶」は規制されないというINCBの見解が、1971年国際条約を批准した日本国内でも、基準を示すことになる。これが、弁護人の主張である。

ただし、オランダのアヘン法では、DMTを含む植物も規制されているので、そうすると、その植物から造られる茶も違法である。

それなら、サントダイミ教会の礼拝は違法なのか。サント・ダイミ教会は、礼拝において使用するダイミ茶は、善男善女が神と交感する秘蹟そのものであり、礼拝には不可欠な要素だと主張した。サント・ダイミ教会の教義においては、ダイミ(私に与え給え)と呼ばれるアヤワスカ茶それ自体が神性を内在しており、その神性を体内に取り入れることによって、信者は神を直接体験するのである。これは、キリスト教の礼拝として正統なのだろうか。裁判所は、信教の自由という観点から、無罪判決を言い渡した。

これが西洋近世の宗教裁判であれば、正統とされるローマ・カトリック教会からして、新大陸から持ち帰られた、インディオが飲用している幻覚茶を服用し、集団で踊るような礼拝は、悪魔的であり、異端だと見なされたであろう。

けれども、現代のサント・ダイミ教会の論理としては、たとえば正統とされるローマ・カトリック教会が、その礼拝の中で、ワイン、つまりエチルアルコールを含有する陶酔性物質を含む水溶液を、これはキリストの血だという奇妙な理屈づけで服用するのであるから、お互いさまだ、いや、アルコールこそ依存性を持つ濫用薬物であり、逆にダイミ茶はアルコール依存症等の患者を回心させることさえできる、奇跡の薬草茶なのだ、と主張する。

そこで裁判所が二つの宗派の調停を試みる。ローマ・カトリック教会の権威において、サント・ダイミ教会を異端とし、かりに信者を火刑等に処すという、そのような私刑は、近代的法治国家においては、あってはならないことである。なるほどサント・ダイミ教会は礼拝で麻薬成分を含む茶を飲用するかもしれないが、正統的なカトリック教会もまた礼拝では合法ではあるが有害性もある酒を飲用する。政教分離の国家においては、礼拝で酒を飲む宗教も、礼拝で幻覚茶を飲む宗教も、かりに後者が違法な麻薬を含んでいたとしても、いずれも自由な活動が保障されなければならない。これが、信教の自由である。

次に、弁護人は、二つ目の判例の日本語訳を、やはり早口で朗読した。アメリカの連邦最高裁では、UDV(弁護人は、これを英語ふうに、ユーディーブイと発音した)の活動が、同様に信教の自由という観点から無罪となったという判例である。いわゆる、ゴンザレス裁判である。

弁護人がブラジルの宗教運動についての判例を読み上げるのには、五分程度の時間を要しただろうか。書記官は、どの程度を書きとめただろうか。

日本の裁判所で、サント・ダイミやUDVが真摯な宗教行為だと、法廷という場で、日本語で語られた。それは小さな事件かもしれないが、小さな歴史的事件であった。

もっとも、検察官も裁判官も、キリスト教であるとか、サント・ダイミ教会だとかいうことには、ほぼ関心がないように見えた。弁護人の早口を、時計を気にしながら、ただ聞き流しているようだった。

宗教裁判のような面倒な話には係わりたくない、医療行為かどうかも議論するのは面倒だ、メディ・ティーと相思樹の染料の化学的性状を比較するという、化学的に明快な争点で、客観性の高い判決を出したいと、裁判長はそう考えているのだろう。

裁判長が閉廷を宣言した。



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  • CE2021/06/28 JST 作成
  • CE2022/04/22 JST 最終更新

蛭川立

Kyoto DMTea Ceremony Case -Time series of events-

Date Case of Aoi Glass Other
24/07/2019 A university student purchased acacia wood chips from the "Medicinal Herb Association" operated by Aoi Glass and had it as tea at his home in Kyoto Prefecture. A few hours later, he complained of physical and mental disorders and was rushed to the hospital. (The causal relationship between taking acacia tea and physical and mental disorders is unknown.)Kyoto Prefectural Police examined the urine of the university student and detected DMT. In addition, acacia tea was discovered in the house of the university student, and DMT was detected in the tea. Since the university student was a minor and was protected by the family court, no further information has been released.
26/02/2020 Aoi Glass held a Mimosa tea party at his friend's house in Osaka. (Friends who attended the tea party have stated that they are not taking mimosa tea. In the treatment rituals of indigenous people in the Amazon, only Sherman has tea and clients often do not.)
03/03/2020 Kyoto Prefectural Police arrested Aoi Glass at his house in Mie Prefecture. DMT was detected in acacia tea at Aoi Glass's house. DMT was detected in the urine of Aoi Glass. Aoi Glass detained at Tanabe police station, Kyoto Prefecture.
07/04/2020 A state of emergency was issued as the new coronavirus infection spreads. Aoi Glass prosecution [1] (aiding and abetting a university student to manufacture and use Narcotics)
14/04/2020 Aoi Glass prosecution [2] (Narcotics possession)
18/05/2020 Aoi Glass second urine test. DMT was detected in urine.
21/05/2020 Lifting of state of emergency.
29/05/2020 Aoi Glass, prosecution [3] (Narcotics use)
08/06/2020 First trial (Kyoto District Court)
11/06/2020 Aoi Glass bail.
19/06/2020 Aoi Glass re-arrested. Third urine test. No DMT was detected in urine.
26/06/2020 Aoi Glass indicted [4] (providing Narcotic Raw Materials)
30/06/2020 Aoi Glass bail
07/04/2020 Mayu Imajo (Kyoto District Public Prosecutors Office) Reiwa 2nd year (wa [*1] ) No. 316 (Manufacturing and application assistance) Aoi Glass "aided and abetted" a university student to "manufacture" and "use" Narcotics in July 2019.
14/04/2020 Mayu Imajo (Kyoto District Public Prosecutors Office) Reiwa 2nd year (wa) No. 353 (Narcotics possession) Aoi Glass "possessed" Narcotics on 3rd March 2020.
29/05/2020 Mayu Imajo (Kyoto District Public Prosecutors Office) Reiwa 2nd year (wa) No. 453 (Narcotics use) Aoi Glass "used" drugs at an acquaintance's house on 26th February 2020.
26/06/2020 Mayu Imajo (Kyoto District Public Prosecutors Office) Reiwa 2nd year (wa) No. 574 (providing Raw Materials) Aoi Glass "provided" the Narcotic "Raw Materials" to customers.
12/08/2020 Mayu Imajo (Kyoto District Public Prosecutors Office) Reiwa 2nd year (wa) No. 771 (providing Raw Materials) Aoi Glass "provided" the Narcotic "Raw Materials" to customers.
31/08/2020 Hiroshi Nakamura (Kyoto District Public Prosecutors Office) Reiwa 2nd year (Wa) No. 831 No. 1 (Providing Raw Materials)Aoi Glass "provided" the Narcotic "Raw Materials" to customers.
31/08/2020 Hiroshi Nakamura (Kyoto District Public Prosecutors Office) Reiwa 2nd year (wa) No. 831 No. 2 (manufacturing assistance) Aoi Glass "aided and abetted" the same customer as above to "manufacture" Narcotics.
08/06/2020 First trial (Kyoto District Court)
20/07/2020 Second trial (Kyoto District Court) (Three prosecutions will be filed on August 12th and 31st)
07/09/2020 Third trial (Kyoto District Court)
12/10/2020 11:00 AM The 4th Trial (Kyoto District Court No. 101 En Banc)
16/11/2020 11:00 AM Fifth Trial (Kyoto District Court No. 101 En Banc)
21/12/2020 13:30 PM The 6th Trial (Kyoto District Court No. 101 En Banc)
16/02/2020 11:00AM The 7th Trial (Kyoto District Court No. 101 En Banc)
25/03/2021 (planned) The 8th Trial (Kyoto District Court No. 101 En Banc)

*1:" wa" is a code indicating a normal proceeding in a district court. Https://home.hiroshima -u.ac.jp/hirano/nyumon/fugo2005.htm

Eppur si muove -The Third Trial-

Attorney's statement of opinion

At the third trial held on September 7, 2020, the attorney asked the prosecutor questions in quick succession, which was an unprecedented development.

Tea has not been regulated as a drug

"This is the first case in Japan of ayahuasca and ayahuasca analog, which are beverages boiled from natural plants containing DMT."

Attorney Kikuyama listed cases that have not been regulated, even though the existence of plants and teas, including ayahuasca and DMT, has been known in the past. The following is a summary and supplement of Kikuyama's remarks by the author.

1. On June 16, 2006, the Ministry of Health, Labor and Welfare and the Tokyo Metropolitan Government entered Shibuya Ward to sell "illegal drugs" (so-called illegal drugs), that is, unapproved and unlicensed drugs under the Pharmaceutical Affairs Law. The inspection was carried out, and its destruction and discontinuation of sales were started. On July 28, the Ministry of Health, Labor and Welfare's Pharmaceutical and Food Safety Bureau Monitoring and Guidance and Drug Countermeasures Division called on-site inspections of "illegal drugs (so-called illicit drugs) that were imported and sold as plant specimens, incense, etc."The page has been uploaded. "Ayahuasca-related plants" are mentioned as plants that are the origin of illegal drugs (so-called illicit drugs).

"Illegal drug" was also called "illegal drug" or "legal drug", and the name was confused.[*1] According to the "Study Group on Countermeasures against Illegal Drugs"published on the ministry's website on November 25, 2005, illegal drugs (so-called illicit drugs) are "designated as narcotics or psychotropic drugs." It is defined as "a substance that is suspected to be harmful and similar to those, and is sold for the purpose of being abused by humans." In other words, the view is that "ayahuasca-related plants" are not regulated by the Narcotics or Psychotropics Control Law.

2. Before dawn on October 1, 2008, a fire broke out in downtown Osaka, and a man was arrested on suspicion of arson. The man was attending a Santo Daime service in Nara during the daytime on September 30th the day before. The Naniwa Police Station in Osaka Prefecture has detained his Imi tea from Santo Daime officials. It should have been tested for its ingredients, but it has not been investigated as a drug possessor since then. No fact-finding was found that the crime was affected by Daime Tea, and the arrested man was charged and tried, regardless of Santo Daime.

On October 27, 2008, the Ministry of Health, Labor and Welfare published a page entitled "About So-called Daime Tea, etc." It says that Daime tea contains DMT, which is designated as a drug, but regarding the tea itself, "Daime tea is part of what is called ayahuasca. Other than Daime tea. Please note that some ayahuasca have the same effect. " In other words, the view is that DMT itself is regulated as a drug, but tea containing DMT is not regulated as a drug.

"Therefore, the MHLW had the view that ayahuasca and ayahuasca analogs were not narcotics. But why and when did the MHLW change the legal interpretation of the Narcotics and Psychotropics Control Act? It has not been made public. Even if the Ministry of Health, Labor and Welfare has concluded that the ayahuasca analog is a drug at this time, the transition of its interpretation must be said to be extremely arbitrary and ad hoc. "


Ayahuasca religion from Brazil

At the time of the fire in 2008, a TV news program came to me for coverage. He was asked for his opinion as a researcher of Ayahuasca tea and Brazilian religious movements.

1. Santo Daime is a Catholic religious movement that started in Brazil in the 1930s, from which many groups such as UDV, Barquinha, and Umbandaimi were derived. The Brazilian government conducted a survey of these religious groups and was officially recognized as a religious corporation in the 1980s because of its high morale and no connection with antisocial organizations or anti-establishment movements. In particular, Santo Daime has spread among the intellectual classes in urban areas since the 1990s,[*2]、and has spread outside Brazil such as Europe and the United States, causing legal problems in each country. The actual situation of activities in Japan is not well known.

2. The "herbal tea" used by Santo Daime in worship is "Daimi" tea, which is a medicinal herb tea called Ayahuasca tea used by the indigenous peoples of the Amazon for religious ceremonies. Ayahuasca tea contains psycho-developing drugs such as DMT, which provokes a religious experience. Temporarily, the sense of daily space-time may be lost and normal judgment may be lost, but the effect ends in about 3 to 4 hours before the end of worship. Contrary to the violent aggression caused by alcohol, it creates a rather calm and peaceful sensation. Therefore, it is unlikely that the action of ayahuasca tea will cause a violent crime the day after taking ayahuasca tea.

3. Ayawasuka tea has been studied to improve psychiatric disorders in the neurotic area such as depression, but it may worsen psychiatric disorders in the psychiatric area such as schizophrenia. However, ayahuasca tea does not cause mental illness. If it was true that the suspect had arson in a state of dementia, it is likely that he had a mental illness before taking Ayahuasca tea.

I explained to the interview staff as above. The interview staff said the suspect is currently undergoing a psychological examination. After that, I heard that the suspect proceeded with the trial, saying that he was not in a state of dementia and had normal responsibility.

In Japan, it seems that Sebastian eclecticists and Umbandaimi derived from Santo Daime have been active since the 1990s.There is information that UDV is also active, [*3]but these groups do not disclose the information on the website etc., so it is not possible to know the exact actual situation. In Japan, Santo Daime and the religious groups derived from them do not have a unified organization and no unique church. No official comments have been announced regarding the fire incident in Osaka or the Aoi incident.

Conversely, the Herbal Society, which is based on nature worship and Buddhism, has nothing to do with the Christian religious movements of Brazilian origin. The types of herbs used are also different. Herbal Association tea is a combination of plants and medicines.

In Japan, Santo Daime is not a membership organization. "I'm a Daimista" is a matter of personal sentiment. For example, it is the same as saying "I am a Christian."

Individuals related to Brazil's Santo Daime are voluntarily worshiping in various parts of Japan, and it seems that these activities are repeatedly generated and extinguished and separated and gathered in a short period of time. This is a characteristic of Santo Daime, especially the Sebastian eclecticism, as well as Japan, and is also a characteristic of Brazilian religious movements.

There are several reasons why the whole picture of the Brazilian religious movement using Ayahuasca tea is not known in Japan.

First, conversely, it has not been cracked down by any incident. Its supporters are the middle class and are not associated with antisocial organizations or antisocial movements.

Secondly, the Ayahuasca religion does not engage in social activities such as building schools or conducting joint research with hospitals.

The third reason is that in Japan, unlike other Christian countries, the authority of the church is weak. Therefore, churches that use Ayahuasca tea have never been regarded as heretical and have not been a problem.


Abnormal prosecution and interrogation

Attorney Kikuyama's statement of opinion continued.

"In this case, a total of seven prosecutions have been filed. At least cases (5)-(7) do not appear to have any effect on sentencing. Repeating such prosecutions. It can be thought of as a strategy that causes the court to form a guilty plea of the accused and give him bad feelings, but since this is the first case of Ayawaska Analog, the prosecutor has no matter how factual it is. It should also be seen as an experimental prosecution to try which offense would be established.

In addition, the prosecutor was completely unaware of the International Narcotics Control Board's (INCB) view of the Convention on Psychotropic Drugs until his defense counsel pointed out after indicting the (1) case on April 6, this year.

Therefore, it can be seen that the prosecutor is gaining time to consider a re-argument against the defense counsel's allegations by continuing unjustified prosecution. Whether the prosecutor's intention to repeat prosecution is to form a guilty plea, experiment, or save time, the criminal procedure is a representative of the public interest because it severely restricts the human rights of the accused. Prosecution and proceedings that blame the prosecutor's duties should be strictly discouraged.

According to the accused, when he was being interrogated at the Kyoto District Public Prosecutor's Office on August 24, the prosecutor asked, "What kind of claim will you make at the next trial?" "What if you are acquitted?" It is said that the question was asked.

The accused has been asked the above question in isolation without the presence of a defense counsel, which may not only infringe the secret traffic right with the defense counsel, but also directly infringe the defendant's right of defense. It is an illegal and unjust act.

The prosecutor's unusual response, as described above, eloquently states that the case was not undertaken under sufficient investigation, and promptly acquitted the accused or abused his right to sue Therefore, the proceedings should be terminated immediately. "

The prosecutor, who represents the public interest, remains silent.

A lawyer asks a question and a prosecutor keeps silent. Is this a Copernican Revolution of the trial?

Defendant's counterargument to the prosecutor

Defendant Aoi argued that the prosecutor claimed that Ayahuasca analog tea was an extract of the drug DMT and was not part of the plant.

Tea is plants.

The prosecutor claimed that ayahuasca tea containing DMT is not plant, but trivially illegal substance in the light of common sense.

Are whales fishes!? Are bats birds!?

The strange questions of the defendant was out of place in the court.

The judge giggled.

The defendant did not stop making the statements. He was arrested on 3rd March. He could not stand because he had been waiting for half a year.

He was always shy and playful, but he threw up his right arm up with anger. I have never seen him such eloquent.

Is the ground a star!?

The lights that shine in the night sky are called stars. The ground at your feet is trivially not a star. The stars trivially move, but the ground does not move trivially. You (single) may thing this in the light of common sense.

Galileo, who said the earth moves, was charged.

The prosecutor, who charged Galileo, said that if it takes 24 hours for the earth to rotate once, the ground would be moving at 1600 kilometers per hour [*4].

The prosecutor said over and over again that it was trivial that the ground did not move in the light of common sense, therefore that it was trivial in the light of common sense. Finally, Galileo admitted what the prosecutor said.

The prosecution sought life imprisonment to him.

It is said that the ruling was under house arrest for life, because three out of ten judges expressed minority opinions that confessions were not physical evidence.

It was three hundred years later that the Pope John Paul Ⅱ declared that Galileo was innocent in 1992.

The earth is a star. The ground is a star.

The telescope invented by Galileo made the science progressed.

If I admit now in the court that the tea is an illegal substance as the prosecutor has said, I will be guilty. But that would go against the 300 years of scientific progress.

The whole body of the defendant was full of dopamine and adrenaline.

I looked at my watch.

The judge with siver-gray hair looked confused, but no longer stopped him.

I heard from the prosecutor that a trial is performed based on scientific argument.

The problem here is the distinction between the subjective and cultural "Umwelt" and the scientific and objective "Umgebung", the environment[*5].

Usually, we live in the common sense world called Umweld in biology.

Both acacia trees and mushrooms containing psilocin and psilocybin are usually called plants. Taxonomically, mushrooms are classifyed as fungi, not plants. However, they are designated as plants under the Narcotics and Psychotropics Control Act.

According to convenience classification, moving creatures are animals and non-moving creatures are plants.

Usually, tea is not called a plant. Tea, milk and water are called drinks. This is because it is good to think (bon à penser).[*6]

Both you (single) and I look at the world through each colored glasses called common sense, Umwelt. Each person lives in each Umwelt, the world give rich meaning to each person.

But this is a trial. Trial is an intellectual sport of interpreting the law. Both you (single) and I need to take off the colored glasses during this game.

Chromatography is the result of progress in science. We have also developed a technique for isolating molecules.

Analyzing the acacia tree using chromatography reveals that it contains DMT, water, and many other substances. Analysis of the tea made from the acacia tree also reveals that it contains DMT, water, and the same substances. Since they contain the same substances, they can be identified as the same species.

Because tea is just boiling water and putting plants in it.

Analysis of human urine reveals that it contains DMT, water, and many other substances.

When analyzing pure water, only water molecules are detected. Analysis of purified DMT crystals reveals only DMT molecules.

Scientifically analyzed, both the acacia tree and the tea made from acacia are plants or parts of the plants. Acacia trees, tea made from acacia, human body, and human urine are living things or parts of living things. But water is water. A DMT molecule is a DMT molecule. H2O is not a living thing. DMT is not a living thing.

Hence, tea is plants.

The prosecutor said there was no need to answer.

The judge looked into the prosecutor's face. I supposed that the judge wanted to say to her if she keeps silence, she will lose this game.

She seems frustrated.

The judge declared the rising of the court.



The defendant and I left the court.

The typhoon had passed. The squall is gone. And the sun is back.

Even in September, Kyoto is still hot.

The defendant and I walked silently. The reflection light from the paved road was strong.

We went down to the river side from the stairs of bridge.

Glistening water flows and a cool breeze blows.

The defendant stopped.

"Look down at your feet" He said.

I also stopped and looked down at my feet.

There was the ground under our feet.

"And yet the ground moves[*7]." He smiled.

There was the earth under our feet.



Evaṃ mayā śrūtaṃ - Thus have I heard.

This essay is based on an an actual case. Original text is written in Japanese. English text is powered by Google translate.

*1:In July 2014, the Ministry of Health, Labor and Welfare published a page entitled "We have selected a new name to replace" illegal drug "" and expressed the view that the name will be unified to "dangerous drug".

*2:Hirochika Nakamaki. (1992). "If you don't drink tea, you will not be able to have hallucinations-the epidemiology of hallucinations in Brazil-" Tsuneya Wakimoto, Keiichi Yanagawa ed. "Contemporary Religious Studies (1) Approach to Religious Experience" 31-59, University of Tokyo Press.

宗教体験への接近 (現代宗教学1)

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  • 発売日: 1992/06/20
  • メディア: 単行本
Although infectious disease-like metaphors such as "epidemiology of hallucinatory religions" are somewhat inappropriate, this treatise is a good source of information in Japanese about the Ayahuasca religious movements in Brazil, and my knowledge is also in this book. I have a lot to bear.

*3:Coe, M., McKnnna (2016). The Therapeutic Potential of Ayahuasca | SpringerLink

*4:The speed of rotation is twice the speed of an airplane. It takes 24 hours from Brasil to Japan - around the earth halfway - by an airplane which flies 800km per hour.

*5:Jakob von Uexküll & Georg Kriszat Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menschen 1934

*6:L´evi‐Strauss, C. (1962). Le Totémisme aujourd'hui.

*7:""Eppur si muove" or E pur si muove" Baretti, Giuseppe (1757). The Italian Library. Containing An Account of the Lives and Works of the Most Valuable Authors of Italy. With a Preface, Exhibiting The Changes of the Tuscan Language, from the barbarous Ages to the present Time, 57.